有村溶岩展望所は大正溶岩(1914年)にあります。大爆発によって流出した溶岩で大隅半島と陸続きになったのでした。
駐車場にはトイレや売店があります。
この先の展望所方面にはトイレがありませんので、ここで済ませておきましょう。
桜島の道端のあちこちにこのような退避壕がありました。突然噴火したりするためでしょう。備えあれば憂い無し。
展望所のルート上にも所々退避壕があるようです。
色が白っぽく、ぱさぱさになっていたので、画像ソフトで加工しなおしてあります。
元々はシラス台地を作った姶良(あいら)カルデラのマグマだまりが噴火して26000年前に桜島が誕生したそうです。桜島は姶良カルデラの子供なんですね。
桜島には北岳と南岳があり、
北岳は26000年前から5000年前まで活動し、
南岳は4500年前から現在に至るまで活動しているようです。
鹿児島市に属する桜島は、大正溶岩で垂水市とつながったようです。現在も桜島は鹿児島市なので、地図を見ると不思議な感じがしますね。
特筆する大きな溶岩
- 1471年 文明溶岩
- 1779年 安永溶岩
- 1914年 大正溶岩
- 1946年 昭和溶岩
何もない溶岩の上に植物が生え、森になるのに200年、桜島では数百年分の植生を観察することができるそうです。
現在いる有村溶岩展望所からの眺めが楽しみですね。
観光客で賑わっていましたよ。
見てまわりながら、バールのようなもので溶岩を割ってみたい衝動が起きました。
手前が現在いる大正溶岩のクロマツ等の陽樹林でその奥が昭和溶岩の低木林で、濃い緑の部分はもっと古い溶岩帯のようです。
手前の小さなお団子みたいな3連山は「江之島」とのこと、江之島よりさらに左の奥には内之浦のJAXAがあるようで、ロケットを打ち上げたらここからも見えるのでしょうか。
海に整然と並んでいるのは養殖いけすで、ブリやカンパチなどが主流のようです。(参考:鹿児島の海面養殖業PDF)
開聞岳は薩摩半島最南端に位置する標高924mの火山です。鹿児島市は薩摩半島にあります。
よく考えたら、地球のどこかの国から日本にやってきて、今日ここで交差する出会いは、今後二度と起きない確率の方が高いでしょうね。
そう思うと皆さんお元気でと思います。
廃道路などでも道にひびが入り、小さな植物や苔が生え、木の中では松が切り込み隊長みたいに生えようとしている印象があるなぁ。
さっきいた四阿も見えますね。四阿は3か所あり、トンネル型の退避壕は2か所あります。
”わが前に桜島有り西郷も大久保も見し火を噴く山ぞ”
鹿児島生まれの小説家、海音寺潮五郎(Wikipedia)の書
”我が胸の燃ゆる思ひにくらぶれば 烟(けむり)はうすし櫻島山”
まさかのマウント平野国臣
観光しているときは知りませんでしたが、ブログを書くに当たって、平野国臣(Wikipedia)を調べたところ、なかなかアクのあるキャラクターで面白く、最期はこんな終わり方ないだろぉとなったのでした。
元治元年(1864年)7月、禁門の変を端にして発生した火災(どんどん焼け)は京都市中に広く延焼。獄舎に火が及び、囚人が脱走して治安を乱すことを恐れた京都所司代配下の役人が囚人の処刑を決断。処分は未決状態ではあったが、他の30名以上の囚人とともに斬首された。享年37。明治24年(1891年)、正四位を贈られた。
Wikipedia 赤マーカーは筆者
ぐるっと回ったので、駐車場にあるトイレ兼桜島情報のある有村溶岩展望所レストハウスへ行きます。
大隅半島と陸続きであるにもかかわらず、薩摩半島の鹿児島市に属している桜島なので、高校などへの通学は船を利用しているのかな?と思い少し調べたところ、最寄りは大隅半島の県立垂水高等学校で、入学説明会を行っているようでした。
でも船を使って薩摩半島へ行く方が最寄りの高校の数は多いようでした。
桜島をジオパーク目線で解説している便利なサイト「桜島・錦江湾ジオパーク」
桜島一周の旅はまだまだ続くよ!
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