

道の駅に駐車して、両津大橋を渡って両津港佐渡汽船ターミナル方面へ徒歩で移動します。




両津甚句は両津地域に伝わる盆踊唄
両津甚句の由来
両津甚句は明治三十四年に夷町と湊町が合併して『両津町』になり、大正時代に『夷甚句』と『湊甚句』が整理され一つになった甚句である。
碑より
いかにも万里の波濤と闘う漁師町の息吹を伝えるにふさわしい、荘厳な声調と伸びやかな囃子が特徴である。
大正十年頃『両津甚句会』が結成され芸妓の三味線が付き、お座敷唄となり踊りが振付けられて「リャント、リャント」とはやすようになったものである。


佐渡市の地図
佐渡島全体で佐渡市となっており、上部の大佐渡地区と下部の小佐渡地区が砂州でくっついた真ん中を国中地区と呼んでいます。
ジオパークとしては「両津」「相川」「国中」「南佐渡」「前浜」という区分になっているようです。モデルコース紹介(佐渡ジオパーク公式サイト)








平成の大合併前は両津市と7つの町、2つの村で構成されていました。佐渡市の合併経過pdf(新潟県)



両津はかつて、湊町と夷町に分かれており、その間を結ぶ橋を境橋(両津橋)と呼んでいたそうです。この橋の歴史は江戸時代にさかのぼり、御普請橋として佐渡奉行によって架けられました。当時は橋のたもと北側に番所があったので「御番所の橋」とも呼ばれていたそうです。昭和4年の架け替えまでは木造の橋だったそうです。(参考:かくれた佐渡の史跡:国立国会図書館デジタルコレクション)

よく見かけるのは起点:河川名+橋名(漢字)、終点:竣工年月日+橋名(ひらがな)ですが、歴史的に重要な場合、起点に国道名などが書かれる場合があるようです。

奥に見えるのは両津大橋。その先は両津湾になっている。この時はまだ佐渡金山のユネスコ登録はされておらず、登録気運が高まっていました。


両津出身の彫刻家 親松英治氏によるもの(市報さど95号pdf)

両津港のシンボルで、昔はこの松の木を運航の目印にしていたそうです。松の木としても日本屈指の巨木であり、樹齢300年ぐらいと考えられています。

































一本奥の道路から加茂湖に向かうため引き返します。







加茂湖ではカキの養殖もしています。





海の方へ向かいましょう




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