一階にはトイレがありました。2回は休憩序のようでしたが鍵がかかっており入れませんでした。
吉田松陰は宮部鼎蔵と共に江戸から140日間に及ぶ東北遊学の旅に立ちました。津軽海峡沿岸の外圧防備状況の視察のため三厩を訪れましたが、龍飛岬には来ていないそうです。(参考:青森県吉田松陰のたどった上磯の道)
去年の今日
巴城を発す
楊柳風暖かに馬蹄軽し
今年北地
更に雪を踏む
寒沢三十里
路行き難し
行き尽す
山河万の夷険
滄溟に臨んで
長鯨を叱せんと欲す
時平かにして
男子空しく(こう)慨す
誰か追ふ
飛将青史の名
詩を改めて文字にしたら、暗澹とした気持ちになりました。東北遊学は嘉永4年 (1851年)12月14日から嘉永5年(1852年)4月5日の140日間に及ぶ旅の事です。
2020年9月下旬に訪れたのですが、この龍見橋、灯台のあった場所よりも強風が押し寄せてきて、手すりを掴まないと吹き飛ばされるんじゃないかと言うほどの勢いでした。(大袈裟に言ってないよほんとだよ)
ぼちぼち観光客が訪れていました。
竜飛岬灯台入口とその崖下にある竜飛漁港を結ぶ総延長388.2m、362段の歩行者しか通れない階段国道。降りて戻るのがきつそうだったので眺めただけで終わりましたが、降りておけば良かったという名残。
誰かが押したとき、ちょっと恥ずかしくなるぐらい大音量だったので、押すのは止めました。
次の目的地はあそこです。
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