前回訪れた「焼ノ峠古墳」から1kmほど移動して戦争遺構を見て回ろうという趣旨です。最初に「高上の掩体壕(えんたいごう)跡(GoogleMaps)」へ向かいました。
西日本最大の航空拠点太刀洗飛行場は、旧大刀洗村、本郷村、朝倉郡三輪村、馬田村の4つの村にまたがる地域を選定して大正5年5月から3年の月日を経て建設されました。
大刀洗飛行場の空への第一歩は、大正8年12月26日、モーリス式によって初飛行が行われ、日本晴れの中、大勢の観衆に見守られながら、飛行場の上空を1周して着陸、飛行時間は10分間だったそうです。
掩体壕の後は、大刀洗駅(GoogleMaps)へ移動しました。
甘木鉄道株式会社は、第三セクター方式の鉄道会社で、朝倉市・筑前町・基山町・キリンビールなどが出資して運営しているそうです。
駅の前の道路を隔てた向かいには「筑前町立 大刀洗平和記念館(GoogleMaps)」がありますが、次回のご紹介になります。
大刀洗平和記念館の入り口には、第五航空教育隊正門跡が残されています。
第五航空教育隊正門
案内板を転載
昭和14年(1939年)開隊した航空技術兵の学校「第五航空教育隊」の正門です。 別名西部第百部隊と言われ、最大時には6000人の航空技術兵が在籍していました。
この部隊では教科科目として、飛行機機体・機関発動機・板金・精密機械・鉄砲火器・通信機材・自動車・無線・旋盤・鋳造・各燃料・落下傘など航空機にかかわる全てを教わっていました。元々は国道500号沿いの山隈交差点に建っていましたが、平成22年1月にこの地に移設しました。
平成22年4月 筑前町立大刀洗平和記念館
憲兵文遣隊舎(けんぺいぶんけんたいしゃ)の煉瓦塀
案内板より転載
大正8年(1919年)大刀洗飛行場が10月に開隊したのとほぼ同じ12月に、久留米憲兵隊大刀洗分遣隊として発足しました。
軍隊の警察官としての立場で、多い時には10人位の隊員がここ大刀洗飛行場に関連する部隊や周辺の治安を担当していました。例えば、訓練中の飛行機が墜落した時などいち早く駆け付け、隊員の救助や周辺の警備にあたったりしました。今でも煉瓦塀敷地内に、隊長官舎や厩舎跡が残っています。(この敷地は民有地です。勝手に入らないでください)
平成22年4月 筑前町大刀洗平和記念館
この先は私道のように見えたので、1周するのは止めました。
福岡県朝倉郡三輪町は昭和32年(1962)4月1日からありましたが、平成17年(2005)3月22日に合併し、朝倉郡筑前町になったようです。
トップの地図に記載がありませんでしたが、飛行第四連隊正門跡と同じ敷地にあります。
昭和15年10月大刀洗陸軍飛行学校開校。少年飛行兵の兵舎になりました。研修期間は2年でした。
大刀洗陸軍飛行学校は全国の陸軍操縦士の2/3を養成していたそうです。
特幹の歌
国立国会図書館 歴史的音源 特幹の歌 より
作詞 清水かつら 作曲 佐々木俊一
昭和19年(1944)
1 翼輝く 日の丸に
燃える闘魂 眼にも見よ
今日もさからう 雲切れば
風も静まる 大刀洗
ああ特幹の 大刀洗 (略)
道路を渡った少し先に監的壕があります。私有地なので、遠くからズームして撮りました。
参考:
町の概要 (大刀洗町)
大刀洗町史(国立国会図書館デジタルコレクション)
大刀洗飛行場の年表(筑前町大刀平和記念館 より)
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