前回行ったときは水を抜いて改良工事をしていましたが、今回は五十里湖の水位も戻った五十里ダムへ3月22日に行ってきました。
過去記事
- 【栃木】水を抜いて改良工事中の五十里ダム 2017年11月14日
- 【栃木】改良工事中の五十里ダムと水位が下がった五十里湖 2017年11月22日
改良の内容は、選択取水設備の新設と、老朽化した利水放流設備の整備、水力発電所の整備といった内容です。
利水放流設備。前回の写真↓
あの時削孔していましたが、現在は五十里ダム見晴らし台に展示されています。
残念ながら今回も天端を歩くことはできないようです。
五十里ダム管理支所にもなってます。入口のインターホンを押して、ダムカードを貰います。今回は天皇陛下御在位30周年を記念した特別カードも貰えました。
わくわくダムダム資料館2階から写した天端(人物が写っているのはご愛敬で)
わくわくダムダム資料館の展示
五十里ダムと川治ダムは連携して、水のやりとりをしているのです。
前回工事中だった法面も工事が終わったようです。
前回の様子↓
ダム湖の周りも見てみます。海尻橋を渡ります。(下の写真は前回のものです)
昭和30年に架けられたランガートラス橋。栃木の土木遺産(HP)
海尻橋を渡ってすぐに布坂山があり、「五十里湖展望台東武(観光)センター五十里湖店」と書いてあったであろう看板があり、通行止めになっていました。航空地図を見ると、奥はコンクリートの広場のようです。実はこの奥に高木六左衛門を祀った祠があるとネットで見たのですが、通行止めならどこかに移されたのでしょう。
五十里湖の出現から24年を経て、会津藩が水抜き工事の着手に乗り出した。請負額は4,375両、当時としては破格の金額である。
地元村人達の協力も得、工事が進められたが巨大な一枚岩盤に突き当たった。当時の工法では、岩盤の上でいもがらを燃やし、その後水をかけ岩盤を脆くして掘り進むような方法だったため、思うようにはかどらず、ついに工事中止となった。
この工事中止の責任を負い、会津藩士早川上粂之助と高木六左衛門という武士が割腹自殺を遂げた。葛老山崩落地点近くにある小高い丘、布坂山の頂上にこの藩士の墓と伝えられる小さな祀られている。この伝説から布坂山は腹切山とも呼ばれている。
2.五十里湖の水抜き工事 (栃木県)より
少々残念な気持ちで五十里湖周辺を見て回ろうと車を走らせたらすぐに公園がありました。
遠くから見て、もしかしてと期待が高鳴ります。
ところで一つ気になっているのは割腹したと言われているのは二人、もう一人の早川上粂之助さんはあまり話題になってないようです。五十里湖周辺の橋も六左の名を冠しているものばかり。存在していなかったのでしょうか?
桂の木。遠くから見たら、四阿に陣取る妖怪のように見えましたが、保存のために屋根を付けてあるようです。丁度お昼時でおなかがすいてたので、公園そばの「湖畔亭ほそい」というお店に行きました。
このお店の楽しいところは、囲炉裏のほかに炬燵席があったりするところです。座布団も清潔感がありとても嬉しくなりました。
かもそば美味しかったです。あと、ここのそばがきは山芋入りなのかわかりませんが、よくある団子のようなそばがきと違って(もちろん団子っぽいのも大好きです)、ふわふわで柔らかくてそばがきの新境地でした。行ったらまた頼むと思います。
腹ごしらえも済んだので、五十里湖をぐるっと見て回ります。
前回の五十里湖↓
前回は電車が通るところを撮れませんでしたが、今回は成功しましたよ!(過去記事【栃木】道の駅湯西川と湯西川温泉駅)前回の写真↓
湯西川温泉駅と連結している道の駅湯西川の駐車場では、日当たりの悪いところに雪がまだ残っていました。今度は天端を歩けるようになったらまた来たいなぁと思ったのでした。
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