堀切沢ダム見学と城山動物園の後、城山公園からてくてく歩いて長野元善町まで来ました。
善光寺は一光三尊阿弥陀如来像を本尊とする1300年以上の歴史を持つ無宗派の寺院です。(善光寺縁起 善光寺HP)
六地蔵は仏教の六道を表しているそうです。六地蔵は宝暦9年(1759年)にできましたが、昭和17年の大戦で供出したため現在のものは昭和29年に再建されました。
六道とは、仏教において、衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界(あるいは境涯)のこと。六道には下記の6つがある。
- 天道(てんどう、天上道、天界道とも)
- 人間道(にんげんどう)
- 修羅道(しゅらどう、阿修羅道とも)
- 畜生道(ちくしょうどう)
- 餓鬼道(がきどう)
- 地獄道(じごくどう)
六地蔵の隣には大きな濡れ仏があります。この濡れ仏だけは国家総動員法に基づく金属類回収令から免れたそうです。
山門上層には文殊菩薩坐像、四天王像、四国八十八カ所尊像などが安置されています。門に掛かっている「善光寺」の額は輪王寺宮公澄法親王によるもので「鳩字の額」とも呼び、5羽の鳩がいるそうです。
山門の内側には、日本全国に散らばった善光寺についての案内がありました。日本全国に善光寺を正式な寺名とする寺院は199あります。これは善光寺聖と言われる半僧半俗の遊行僧が善光寺如来の分身を背負って出かけ、信仰を広げて回った結果なのだそうです。(全国善光寺会 全国善光寺会 善光寺HPより)
親鸞聖人が鎌倉時代、善光寺に参詣したおりに、善光寺如来さまの御前に松の枝を供えられたそうで、この親鸞聖人像は左手に数珠、右手に松の枝を持っています。
間違った親切心で動かしたくなる衝動と戦いましたよ。
なんと衆生に優しい…
石柱の中央にはめ込まれた輪廻車を回すと極楽往生できるそうです。ありがたく回しました。ものすごくスムーズに回るのですが、軸がどういう構造なのか気になりました。安政4年(1857年)の刻印が読めましたので、その時代の技術なのでしょうか。
昔、下総国(現在の千葉県)のむじなが、殺生をしなければ生きていけない自らの罪を恥じ、人の姿に化けて善光寺に参詣しました。むじなは、善光寺に燈籠を寄進したいと願っていましたが、宿坊でうっかりむじなの姿のまま入浴していたところを人に見つかり、何処へか逃げ去りました。むじなを不憫の思った宿坊の住職が、その願いを叶えるため、個の燈籠を建てたと言われています。
案内板より
むじなも「善光寺なら、善光寺なら救ってくれる…!」って思ったんでしょうね。
戊辰戦争から第二次世界大戦に至るまでに亡くなられた240万余柱の英霊を祀る、我が国唯一の仏式による霊廟です。御本尊は秘仏の善光寺如来様の分身仏です。(善光寺HPより)
入口で「内陣券はお持ちですか?」と聞かれ、本堂はまだ見ていないと伝えると、本堂の内陣券で資料館を見ることができるというお話でしたので、その場で500円支払い、内陣券を購入しました。最初に英霊に手を合わせます。
奥にある善光寺所蔵の什物の展示を見に行きます。中は撮影禁止とのことで、メモでお伝えできればと思います。
聖徳太子、薬師如来、阿弥陀如来、掛仏懸仏、チベット砂曼荼羅、三面大黒天像、三宝荒神像、仁王像、阿形インテリ、吽形マッチョ、如来影向し給う事、個性豊かな百羅漢像、和算、百万遍念仏 (メモより)
どれも本当に興味深く、チベットの砂曼荼羅は 2010年6月19日にダライ・ラマ14世を迎えるため、チベット僧が作ったもので、14色の砂を使って見事な曼荼羅がガラスケースに入れて展示してありました。(ダライ・ラマ迎える「砂曼荼羅」/色鮮やかに、善光寺 2010/06/12 16:37 四国新聞社)
百羅漢像は手作り感満載で個性あふれるもので、一つ一つ見ていて飽きない表情でした。大衆信仰の善光寺をしみじみと実感できる空間です。善光寺参りの際は、日本忠霊殿 善光寺資料館も立ち寄って欲しい場所です。
乳牛がいます。「牛に引かれて善光寺参り」の牛は乳牛だったのでしょうか。(牛にひかれて善光寺参りの話 善光寺HP)
寄贈は森永乳業株式会社となっていました。善光寺、懐の深さが半端ないです。
左がオスで、右がメスのライオンのようにも思えます。
本堂も撮影禁止とのことなので、イラスト交えつつお伝えします。外陣には賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)が鎮座しています。病を治す力が強かったそうで、そのことにあやかろうと沢山の人が集まり、良くなってほしい自分の体の場所を撫でています。
木像なのですが、あまりにも撫でられすぎて、目は滑らかな窪みになり、撫でられる頻度の高い場所は明るくテカテカと輝いているのでした。私はぜひ頭を撫でようと思っていましたが、手が届きませんでした…絶望
内陣に進み、「来迎二十五菩薩像」のきらびやかさに、私の乏しい極楽浄土のイメージがゴージャスにバージョンアップしたのです。ご本尊(絶対秘仏なので、模ったもの)は左側の内々陣奥に安置されているようなのですが、よく見えませんでした。
次にお戒壇めぐりです。右手を腰の高さに保ちながら壁を触りつつ進み、「極楽の錠前」に触れることで、秘仏のご本尊と結縁するという道場です。
これ以上はないというぐらい暗いのですが、参詣者は多いので、気づかなければ前の人にぶつかってしまいます。とはいえ、靴を入れたビニール袋のがさがさ音が聞こえるので、そろそろと行けば大丈夫です。だいぶ進んだなと思った時、右手に金属っぽい何かが触れました。
そのまま進み、待ち焦がれた明かりが見えて来てお戒壇めぐりは終わりました。
仲見世通りを通って長野駅まで戻ります。仁王門から善光寺本堂まで長さ約450m、幅約8mの一直線に伸びた参道には石畳が敷かれています。俗に7,777枚あるといわれています。この石畳にまつわる悲しい話は「第8回 参道の石畳(善光寺HP)」でご覧ください。
仲見世のちょっと横道の先にあります。
左が阿形(あぎょう)、右が吽形(うんぎょう)。アから始まりンで終わる。物事の初めから最後までお守りしているということのようです。ここでは草履を奉納して厄除け祈願するようです。
また、仁王門の裏手には青が印象的な三面大黒天と三宝荒神像があり、仁王門にある像の原型は善光寺資料館に展示してあります。
てくてく歩いていると、門前町の宿坊が並ぶ場所に出ました。
覚えていますか、気の毒なむじなさんが利用した宿坊白蓮坊(HP)の前です。
そうです、せんとくんの作者の手によるものだそうです。白蓮坊さんの中には、木像に彩色を施した像が祀ってあるそうですよ。
環境に配慮した建物ですね。
車が通ると「カタコトカタコト」と石畳がしゃべります。
ショーウィンドウが博物館になっているようです。他にも何件かまちかどミニ美術館を開いていました。
長野五輪のメダリストを称える碑がありました。
反対側も見てみましょう。
透かし絵楽しいですね。
ここまで善光寺からまっすぐ来ました。県道376号と交差したら左に曲がれば駅に出ます。
以前は善光寺経蔵の前に信者の寄進で明治41年に作られたそうです。その後、長野駅前に移転したり、供出されたり、再建されたりと、波乱万丈な変遷を経て長野駅前に。
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