オコジョは奥飛騨温泉郷のマスコットとして広く使われているそうです。
飛騨と言えば木工製品のイメージがあります。本棚を持っていますが、しっかりとして、とても良い作りのものです。家具の修理をしている企業もあります。
五平餅は中部地方の山間部に伝わる郷土料理とのこと。(Wikipedia)
『このさるぼぼの源流を辿ると、奈良時代に遣唐使が唐(中国)から伝えた「這子(ほうご)」や「天児(あまがつ)」と呼ばれる形代が原型であると言われている。(Wikipediaより)』
形状は各地に伝わり変化していったらしく、四角の布を縫い合わせ手足とし、頭を差し込む作り方は、現在この地域に残ったもののようです。
看板がかわいいです。飛騨牛乳のコーヒー味もありました。あとはミニッツメイド。
道の駅奥飛騨温泉郷上宝は少し変わっています。隣接する施設にオートキャンプ場があるのです。
利用はしませんが、見学してもいいか訪ねたところ快く許可をいただきました。キャンプサイトの写真はありません。この日はとても人が多くて、2回ほど試みたのですが、どこに向けても楽しんでいる邪魔になってしまう状態だったので止めました。
高原川沿いにあり、施設内設備はとても充実していました。
かつては狭い道だけれども、人や牛の往来する高岩の山頂付近の道に設けられていましたが、群道が改修されてから高岩の岩陰に祀られ、道行く人を見守っていました。平成7年にこの道の駅へ移転となったそうです。以下案内板の転記になります。
田頃家高岩地藏緣起
田頃家高岩地藏緣起
永昌寺住職 大野全光
平成八年七月
当区內、古老の言うには、二体のお地蔵さまは、高岩山頂の 路傍に置かれていた。その道は狭い山道で、背に荷物を負った 「ドシマ牛」や、人の往来する道であった。郡道 (現 県道 )ができたのは明治三十四~三十五年に笹嶋から田頃家まで。明治 三十六~三十七年に田頃家から村上神社まで。その頃の赤桶よ り平湯に至る関係十二区の代表世話人が、地元負担金の寄付を募ったことや、開削の困難さが、總世話人であった当区愛知虎之助名義で趣意書に書かれている。(栃尾学校百年誌)かくして群道が改修されてより高岩の岩陰に祀られて、道行く人や 見守ってきた。去る昭和六十一年三月には、やっと屋根つきの堂宇にまつられたが、十一年目にして、今回道の駅へ移転とな った。路端にまつられるお地蔵さんのはじまりは、山道などの難所 で、行き倒れとなった人の冥福を祈って立てられた。やがて、 家内安全、商売繁盛、いわゆる現世の要求に答える農耕や火伏せ、勿論交通安全の神として道行く人を守る衆生の救済者として、民衆との結びつきは深い。
当区永昌寺境外の十王堂地蔵さまの縁日、毎年四月二十三日にはニ体のお地蔵さまも迎えられて、他の一緒に祀られている諸病平癒の薬師如来さま、安産子育ての子安観音さまと、一夜盛大にお祭りを過ごされる。又、縁起ものの絵馬の商いが行われる。
翌二十四日には笛や太鼓の 祭囃子に送られて帰着される習わしがある。
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