【石川】能登島大橋と須曽蝦夷穴古墳

能登島大橋

前回に引き続き、去年の9月に行った石川県の旅行記です。能登半島には、七尾湾の真ん中に能登島という二つの橋(能登島大橋と中能登農道橋(愛称:ツインブリッジのと))で往来できる面積46.78km²、周囲長71.9kmの島があります。

今回は、能登半島と繋がっている2つの橋の一つ「能登島大橋」と、能登島にある珍しい古墳「須曽蝦夷穴古墳(すそえぞあなこふん)」のご紹介です。

能登島大橋ロードパーク

能登半島側にある、能登島大橋ロードパークに車を停めて散策します。

日焼けした案内板

かつては能登島とフェリーで往き来していたそうですが、能登島大橋が昭和57年(1982年)に開通しました。開通当時は往復1780円の利用料がかかっていたそうですが、平成10年(1998年)に償還完了し、現在は無料で利用できます。橋長1050mの石川県で一番長い橋だそうです。

園内はきれいに整備されていました

七尾湾が見えます。

能登島大橋の中央は高くなっています

平成19年(2007年)の能登半島沖を震源とする地震で、一時通行禁止になりましたが、早期復旧が可能な限定的被害であったため、通行禁止期間は5日間でした。(2007年能登半島地震で被災を受けた能登島大橋 RC 橋脚の被害についてPDF

能登島に架かる橋

この時は、もう一つの中能登農道橋は制限付きで利用可能で、能登島大橋の修復後に中能登農道橋の補修がなされたそうです。

橋名オブジェ

空へ飛びだせそう

後で知ったのですが、能登島大橋を渡った先に、車をセンサーで感知して来島者数をカウントし表示している「ようこそ」のゲートがあるそうです。ようこそゲートは見た気がしますが、カウントしてるとは気付きませんでした。橋を渡ってすぐのところに駐車場がありますので、そこから歩いてゲートを見に行けるようです。

蝦夷穴歴史センター

蝦夷穴歴史センターに車を停めて古墳へ向かいます。

蝦夷穴歴史センター入口

訪れた日は金曜日でしたが、センターは閉まっていました。

しばらくお休みのようです

パンフレット入れがありました

パンフレットもちゃんとありました

能登島の縄文土器や古墳の出土品など見たかったので残念でしたが、パンフレットがあったので助かりました。

鳥や虫の声で賑やか

地図案内板

古墳公園をてくてく行きます。

途中でヘビに会いました

アオダイショウかな?さっと隠れてしまいました。

あっという間に到着

七尾湾が見えます。国指定史跡になったのは昭和56年(1981年)1月27日。(文化庁 史跡名勝天然記念物 須曽蝦夷穴古墳

国指定史須曽蝦夷穴古墳(すそえぞあなこふん)

平成9年(1997年)に国指定史跡としての整備を終え、現在の形になったそうです。古墳時代の終わりごろ(7世紀中頃)築かれたようですが、整備する前は、森の中で時間を重ねていたようです。

整備の様子

雄穴石室(左)雌穴石室(右)

一説では能登臣馬身龍(のとのおみまむたつ)のものではとも言われていますが、被葬者の素性はわかっていません。(Wikipedia

石室案内図

本古墳の特色はこの石室の構築法にあり、両者ともいわゆる磚槨式石室であり、平面形も雄穴はT字型、雌穴は逆L字型という通常見られない形を示している。石室の構築法は、両者とも同じで、石材は能登島産の玄武質岩板石を用いている。側壁最下段は大ぶりの板石を縦方向に用い、その上に板石を小口積にしている。天井は、四壁が内側にせり出し、隅部はいわゆる三角状持ち送り式に近い手法を用い、1枚の天井石を載せている。底面は大半が抜き去られているが板石を敷きつめたと考えられる。また、羨道部中ほどの底面には、板石を縦に用いた間仕切様の施設が設けられ、雌穴では玄室と羨道との境にも同様なものがある。(文化庁 国指定文化財等データベースより)

雄穴石室

この横穴式石室はT字型の雄穴石室とL字型の雌穴石室の2基があり、朝鮮半島に見られる形式で、北陸地方、または中部地方にはまったく見当らないため、何らかの関りがあったのではと言われています。

雌穴石室

中にも入れます

石材は能登島産の玄武質岩板石

コーナーの石組みの様子

天井の様子

だいたい真下から見上げた天井

ちゃんとライトアップされていて、注目ポイントが分かりやすかったです。

横から眺めた須曽蝦夷穴古墳

須曽蝦夷穴古墳から見える七尾南湾

須曽蝦夷穴古墳の標高は80mです。

周囲の林にキノコが!

美味しそうに見えます。

帰り道の古墳公園内

ホタルガでしょうか?

綺麗な光沢で、触角を優雅に動かしていました。

蝦夷穴歴史センターにはケイトウがたくさん

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