大阪の水門めぐりをしようという事で、最初は伝法水門へ向かいます。珍しく電車と徒歩での旅です。
かつて伝法川にかかる伝法閘門は、明治6年(1873年)に完成し、水位や水量の調節のほかに、船の通過を調整していました。しかし、高潮対策として伝法川の埋め立てが始まり、昭和39年(1964年)水門が完成しました。現在は漁港を残すのみとなっています。
明治18年(1885年)の洪水被害をきっかけに淀川改良の必要性が高まり、明治29年(1896年)河川法が制定されたのを機に「淀川改良工事」が行われました。改良工事は大規模なもので、町の中心から離れた北側に放水路を開削し、太く直線になった新淀川によって大量の水を素早く海に流せるようにしたのです。
淀川改良の中心人物である沖野忠雄は、 豊岡藩士・沖野春水の次男として生まれました。日本の土木技師で日本全国のほとんどの河川と港の改修工事に携わったと言われており、「日本の治水港湾工事の始祖」とも呼ばれています。
上を通る国道43号線にアクセスしたいのです。
安治川水門は、日本で最初にできたアーチ型の水門だそうですよ。
どうやって稼働するか気になりますよね。両手を祈るように組んで顔の前まで引き上げます、それをそのまま肘を軸に胸の前まで降ろします。動きとしてはそんな感じになります。残念ながら稼働している様子は撮れませんでしたので、ページの下の方に、西大阪治水事務所の安治川水門閉鎖の様子の動画をご紹介してあります。
アーチ型の主水門の閉鎖方法は前述しましたが、右側の水路のようになった部分には副水門があり、横からスイングゲートが出て完全閉鎖できるようになっています。これは「3大水門」と呼ばれる「尻無川水門」「木津川水門」も同様です。
「三大水門」は高潮には対応できますが、築50年近くが経過し老朽化も進んでいるため、津波には弱く、南海トラフ地震を想定したシミュレーションによって、対応できないと判断された結果、三大水門はすべて更新される予定になっています。安治川水門は令和16年(2034年)までに新水門に切り替えるようです。新水門は電力が途絶えても自重で閉まるローラーゲート方式になるようで、前倒して進めてほしいという要望もあるため、アーチ型を見れるのもそう長くはないようです。
防潮水門の試運転日は決まっており、大阪府が告知していますので、ぜひ見に行ってください。
(大阪府)防潮水門の試運転日について
令和3年(2021年)7月14日の記者会見
「水害の危険が高まったのが平成30年台風21号です。これは僕もよく覚えているんですけど、ちょうど大阪市長をしていまして、淀川が物すごい河川の状況になったりして、皆さんも記憶に新しいところだと思います。このときに、この三大水門の安治川水門、これがその現場の写真ですけれど、もしこの水門がなければ17兆円の被害が発生していた、浸水が起きていたというようなものをこの水門によって防いだという、大きな災害につながらずに済んだ。災害が起きたら大きく報道されますけど、災害が起きない場合は報道されにくいんですが、これは僕も現場で大阪市長として陣頭指揮に当たっていましたけど、この水門の効果というのは非常に大きなものがあるというふうにも、なかなか報道にはならないんですけど、感じたところでもあります。」(知事会見より)
尻無川水門の更新時期 は、令和23年(2041年)のようです。三大水門の中では、一番最後まで残っている水門になるようです。
木津川水門は三大水門の中で2031年と一番早い更新となっています。
大阪府河川構造物等審議会では、三大水門を残す案含め、5案が提示されましたが、機能はもとより、予算やメンテナンスの兼ね合いなどで、新たに水門を設置するのが妥当となったようです。木津川水門は3大水門の中でも一番最初に更新されることになっており、現在の場所から約65m上流側に、引き上げ式ローラーゲート2門でできた水門が設置されます。
参考: [防災事業] 三大水門の更新 /三大水門の津波対策補強(PDF) /三大水門の更新に係るこれまでの検討経緯(PDF)
大阪府西大阪治水事務所による安治川水門閉鎖の様子です。画面を動かすことができるので、どのように動いているのか確認できます。とてもよくできていますのでぐりぐり動かしなが見てください。(1分36秒)
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