前回の鶴田ダム(過去記事)の約8km上流に、曽木の滝を擁する曽木の滝公園があります。
駐車場に車を停めて、歩いて見てまわりましょう。この記事を書いているときに気付きましたが、我々は、曽木発電所導水跡に立ち寄っていませんでした。なんという勿体ないことを…
訪れたのは2023年11月13日で、「イルミネーションin 曽木の滝」というイベントを控えており、12月1日に点灯式を行ったそうです。
奥には新曽木大橋が見えます。
この機械は、明治40年野口遵さんが建設した旧曽木発電所の沈砂池で使用されていたゲートを開閉させるための巻上機です。人の力でハンドルを回してゲートを開閉しました。もう1門の巻上機は、現沈砂池にそのまま保存されています。
案内板より
左に行くと新曽木発電所の取水口・沈砂池があり、中間に発電所があり、下流に放水口があります。
俯瞰の地図だと、下図のような位置関係になります。
取水口制水ゲートは電動モーターで開閉しますが、停電時にはゲート自重で全閉することができます。
旧曽木発電所の導水路跡に作られたようで、見たかったですが、とっくに閉園したようです。残念。
天保の川ざらえ(国土交通省「川内川の歴史」)の工事に従事した権太郎の苦労を記した岩。
山ほとりを浪のつといて
権太郎石案内板より
沖せ急流にして 大石
あたまありしを
小野村の石工
権太郎よく水を
せきて
其石
わりのそき あるいは
まきとりて
通船するようなし
たりけるにて
其
よし しるしお久なり
天保十三年
十一月
五日
伊佐の押川強兵衛(ごうべえ)(押川公近)は水練の上手い武将で豪傑だったそうです。
少年時代の強兵衛が泳ぎ疲れ岩の上で昼寝をしていたところ、猟師が河童と間違えて鉄砲を向けた岩がカッパ石と名付けられました。滝の左岸には強兵衛が並べたとされる力石も見えます。屋形の巨石が4つあるようなのですが、この写真では判りにくいですね。
旧曽木発電所を作った野口遵(のぐち したがう)は、日本の実業家で政商であり、朝鮮半島進出で大規模な水力発電所を幾つも建設しました。日本窒素肥料(現・チッソ)を中核とする日窒コンツェルンを一代で築きましたが、水俣病を引き起こした負の側面もありました。
1906年 – 曾木電気株式会社設立。社長は野口遵。鹿児島県伊佐郡。
Wikipediaより
1907年 – 日本カーバイド商会設立。
1908年 – 曾木電気株式会社と日本カーバイド商会が合併し、商号を日本窒素肥料株式会社に変更。
曽木の滝観光の景観に配慮し、自然な形で分水路が整備されています。平常時は水は流れませんが、増水した時に流れ、水を早く下流に流し水害を防ぐ役目をしています。
前回の鶴田ダムで見た模型。破線の矢印が分水路の流れを示しています。
陽も落ちてきました。もう少し見たい場所があるので、この辺で駐車場へ向かいます。
動画も作りましたので、良ければ見てください。(11分41秒)
参考:
- 国土交通省九州地方整備局:川内川激特記録誌(PDF)
川内川激甚災害対策特別緊急事業 平成18年7月22日からの軌跡
https://www.qsr.mlit.go.jp/sendai/site_files/file/works/gekitoku/sgt-record.pdf - 曽木の滝分水路
https://www.qsr.mlit.go.jp/sendai/gekitoku/sogi.html - 川内川の地形・地質と水害
https://www.sci.kagoshima-u.ac.jp/oyo/advanced/disaster/sendai.html - 小水力発電データベース:新曽木発電所490kW(鹿児島県)
https://j-water.org/db_form/cat_a/%E6%96%B0%E6%9B%BD%E6%9C%A8%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80-490kw-%E2%BF%85%E5%85%90%E5%B3%B6%E7%9C%8C/
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