【新潟】大膳神社

大膳神社能舞台
大膳神社能舞台
大膳神社地図(GoogleMaps)
大膳神社地図(GoogleMaps
県道190号沿いのバス停
県道190号沿いのバス停
新潟交通佐渡株式会社(https://www.sado-bus.com/route/)
新潟交通佐渡株式会社
大膳神社看板
大膳神社看板

大膳神社は御食津大神(みけつけおおかみ)を主神に、日野 資朝(ひの すけとも)を左殿に、大膳坊を右殿に祀っています。

日野中納言資朝は鎌倉時代後期の公卿・儒学者・茶人で、元亨4年(1324年)後醍醐天皇の倒幕計画に参画したとされ佐渡島へ流刑となりました。その子阿新丸(くまわかまる:(日野邦光:ひの くにみつ))が父に会いに行くも、父はすでに謀殺され、敵討を決意。父の仇本間を襲い本間三郎を刺し殺し、山伏に助けられて佐渡から脱出。この時助けた山伏が大膳防で、その咎で生きたまま穴に入れられ、小石を詰めて埋め殺す「石子責め」に処されたそうです。その後不作や疫病が続いたため、山城守は大いに畏れ、大膳坊の怨霊を鎮めるために勧進したとされています。

訪れたのは2024年4月30日
訪れたのは2024年4月30日
参道とは違う場所から入ってしまいました。
参道とは違う場所から入ってしまいました。
能舞台の案内板
能舞台の案内板
能舞台平面図
能舞台平面図
真っすぐ進みます
真っすぐ進みます
蔵っぽいけど豪華な感じ
蔵っぽいけど豪華な感じ
拝殿の裏から出てきたようです
拝殿の裏から出てきたようです
大膳神社縁起
大膳神社縁起
拝殿
拝殿
鳥居と参道
鳥居と参道
茅葺きの能楽堂
茅葺きの能楽堂

県の有形民俗文化財、国仲四所のお能場※と呼ばれているそうです。1846年(弘化3年)8月に再建され、以前の姿は不明なれど、佐渡に現存する能舞台の中で最も古いとされています。

※佐和田中原の若一王子神社、新穂潟上の牛尾神社、畑野栗野江の加茂神社、真野竹田の大膳神社

寄棟造り
寄棟造り
上からの重量を受け止める横木を支える舟肘木
上からの重量を受け止める横木を支える舟肘木
開放的な舞台
開放的な舞台
天井の様子
天井の様子
補修されながらきれいに保たれているようです
補修されながらきれいに保たれているようです
松と日輪の鏡板
松と日輪の鏡板
橋掛り
橋掛り
横から
横から
橋掛りから奥の溜りと裏通路(複式橋掛り形式)
橋掛りから奥の溜りと裏通路(複式橋掛り形式)
裏通路から裏楽屋
裏通路から裏楽屋
橋掛りから本舞台
橋掛りから本舞台
手前が仕手柱、右に移動して目付柱、その奥が脇柱、左に移動して笛柱。
手前が仕手柱、右に移動して目付柱、その奥が脇柱、左に移動して笛柱。

笛柱と仕手柱が平行でないのが特徴的です。

地謡座から
地謡座から
ぐるりと回って裏楽屋のあたり
ぐるりと回って裏楽屋のあたり
裏通路と裏楽屋
裏通路と裏楽屋
束石(つかいし)
束石(つかいし)
目付柱
目付柱
拝殿正面(能舞台は左側にあります)
拝殿正面(能舞台は左側にあります)
参道から帰りましょう
参道から帰りましょう

本来の方向から入らなかったため、逆向きで帰るのは少々妙な気持ちになります。

狛犬さんも後ろから
狛犬さんも後ろから
阿形
阿形
阿形前
吽形
吽形
控柱のある両部鳥居
控柱のある両部鳥居
手水
手水
いい雰囲気ですね
いい雰囲気ですね
いかついですね
いかついですね
参道入り口
参道入り口

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