
鉱業は山から下へ作業工程が設定され、生産品を積みだす港までの生産ラインができていました。

旧佐渡鉱山は「採掘場所(大立・高任地区)」→「鉱石選別(高任・間ノ山)」→「選鉱・精錬(間ノ山・北沢地区)」→「積出し(大間港)」という約3kmのラインでした。

右側の斜面の道路のような部分は、鉱石や資材を運搬するための設備である北沢浮遊選鉱場インクラインです。階段状に連続した段差を設けてこの上に枕木を配し、レールを敷設していたようです。

当施設は明治20年代(1887)には現在見られる建造物の基盤を整えたと考えられています。

明治41年(1908)に建設された佐渡初の石炭火力発電所跡。出力500kWの火力発電所。


訪れたのは2024年5月1日、ユネスコ登録前でしたが結構人がいました。


浮遊選鉱は鉱物の疎水性を利用し、特定の鉱物を泡で浮かせて掬い取る施設で、青化製錬は化学薬品によって溶かし、その後亜鉛粉末を加えることで金や銀を再固化させ、沈殿したものを回収します。

当時は屋根などがあり現在のようなラピュタ感はなく、工場のような佇まいでした。新潟県佐渡市のホームページで当時の様子が見れます。(参考:古写真:北沢地区:ギャラリー)

北沢浮遊選鉱場は9層になっており、鉱石は上層から下層へ流れます。運搬にはインクラインが利用され、逆行する物資の移動もできるため、円滑な操業に役立っていたようです。

昭和12年(1937)の日中戦争開始に伴う国策の増産体制の一環として大規模な選鉱施設が整備されましたが、昭和27年(1952)の鉱山大縮小に伴って施設は廃止されたそうです。鉱山大縮小は戦争国策による増産が乱掘を引き起こし資源の枯渇を招いたためとされています。












濁川を挟んだ対岸へ移動しましょう。












昔の資料によると、このトロッコ軌道は大間港跡まで続いていたとのことです。







上の方に桜の木(多分)が見えます。




北沢のシックナー。選鉱を経て金銀の含有量が少なくなった「泥鉱」を、鉱物と水とに分離・濃縮する施設。かつては大小さまざまなシックナーが存在していました。
佐渡金銀山が日本最大の産出量を誇った理由。そのひとつは、世界から次々と最新技術を導入し、改良していったことにあります。佐渡市:先端技術の導入と改良 より



この場所は、佐渡金山施設で利用する機械部品の製造や修理をしていました。以下の工場を備えていました。
- 鋳造工場
- 木型工場
- 鍛造工場
- 製缶工場
- 木工工場
- 仕上げ工場
- キューポラ

周辺を少し見てみましょう。


相川郷土博物館は旧鉱山本部事務所と旧御科局佐渡支庁が連結しています。表の建物が旧鉱山本部事務所。










少し坂道を上って見てみましょう。大佐渡スカイラインを上って行きます。




参考:佐渡金銀山 佐渡金山遺跡(北沢地区)(PDF)
動画も作りましたので、良ければ見てください。(8分54秒)


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