大月郷土資料館は、有名な甲斐の猿橋のそばにあります。
基本情報
- 開館時間
午前9時~午後5時まで(入館は午後4時30分まで)- 休館日
月曜日、祝日の翌日、12月28日~1月4日- 入館料
1名100円(中学生以下は無料)
20名以上の場合、1名80円大月市の大月郷土資料館のページより引用
名勝猿橋、葛野川の水車小屋のミニチュアや大島の灰長石(かいちょうせき)をまとめた展示台がありました。
大月市七保町大島地区の灰長石は3cm~5cmという大型で珍しく貴重な物との事。山梨県の自然記念物に指定されています。
山に囲まれた大月市は寒暖の差が激しく、夏は暑く冬は寒い地域で、林業、織物業、養蚕、稲作、斜面を利用した畑作等が行われていたそうですが、織物業の縮小とともに、養蚕もほとんど行われなくなったそうです。
民話や地名の位置を調べるのに便利そうなのでメモ代わりに撮りました。その他、地質や植生についてもデータの展示がありました。
地表を構成している地層は中世代から新生代第四期にかけて形成されたもの。様々な地層があるため、暖地性の植物と寒地性の植物が入りまじって共存しているとの事。
竪穴式住居。集落の様子や、出土した土器や石器の展示があります。
縄文時代の遺跡、太田ヶ原遺跡が賑岡町強瀬で発掘調査されました。竪穴式12軒、掘立柱建物2棟が確認されたそうです。墨書土器、鉄製の刀子、紡錘車も出土したとのこと。
とても綺麗に手入れされた展示物です。
思わず開けたい衝動にかられ手が伸びましたが、tanuが気付いて止めたので、間一髪触らずに済みました。展示物に触れてはいけませんと書いてあったのをうっかり忘れていました。あぶないあぶない。
昔の写真はじーっとしてなければならなかったと聞きます。中にはじっとするのが苦手な子も居たのでしょうね。顔にモーションがかかっている子がいます。
水害史 奥脇愛五郎 著
要約
明治40年8月22日、笹子川は氾濫し、上野原の唐沢山は崩れ霹(山津波)を起こします。8月22日から降り始めた雨は25日には弱まりますが、人々は度重なる霹に見舞われついに上野原は泥に埋まり全滅してしまいます。50人もの人が八幡神社へ駆け込み避難しました。26日から皆で寄付を持ち寄って糊口をしのぎ、27日には役場の人が来て、救助米の分配をしました。
という記録が展示されていました。記録によると30日にようやく晴れ間がでたそうです。
この水害での被害は大きく、簡単に復興のめどが立たなかったため、山梨県は3回に渡って(1908年248人,1909年235人,1911年81人)、被災者を北海道虻田郡へ移住させたそうです。
猿橋にお立ち寄りの際は是非、こちらの大月郷土資料館にも足を延ばして見ると楽しいですよ。
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