【兵庫】多田銀銅山

多田銀銅山
多田銀銅山

多田銀銅山は、「平安時代末期に採掘が開始され,昭和48年(1973年)の閉山までの間,採掘の場所や規模及び主体者を変えながらも,ほぼ継続的に銀・銅の採掘が行われた。」(文化庁 国指定文化財等データベースより)

悠久広場の駐車場に車を停めて一帯の散策をします
悠久広場の駐車場に車を停めて一帯の散策をします
渋みのある煉瓦の遺構があります
渋みのある煉瓦の遺構があります
機械選工場の復元
機械選鉱場の再現
堀家精練所跡の施設概要
堀家製錬所跡の施設概要

この広場は機械選鉱場の一部を再現したもののようです。

レンガ敷遺構の復元予想模式図
レンガ敷遺構の復元予想模式図

成程、この遺構は現代の煉瓦で復元したもののようです。「出土したレンガ敷遺構は埋め戻して保護しています。」(案内板より)

煉瓦構造物とレンガ敷遺構
出土した精練所跡地の遺構
出土した製錬所跡地の遺構

製錬所のレンガに×印があり、岸和田煉瓦株式会社製のものが使われたとのことです。また、森永乳業アイスクリームの「ピノ」みたいな形をしたものは「カラミ」と呼ばれ、製錬の過程で排出される金属カスですが、これを利用して作られた煉瓦を「カラミ煉瓦」と呼びました。独特の黒さのある味わい深い煉瓦でありますが、生産されなくなって久しく、その技法も失われてしまったそうです。

カラミ煉瓦に関して
茨城県日立市の高校でカラミ煉瓦を作って地域活性化に取り組む試みがなされているようです。カラミ煉瓦の成分を分析し、文献を調べ、再びカラミ煉瓦を製造できるようになって、全国の需要に応えるというプランのようです。
参考:カラミ煉瓦を活用した日立創生ビジネスプランの提案(PDF)/日立をレトロれんがの街に高校生の企画が最高賞2021年4月14日(朝日新聞)

この日は暑かったですが、季節によってはベンチで過ごすのも心地よさそうです
この日は暑かったですが、季節によってはベンチで過ごすのも心地よさそうです
国史跡多田銀銅山遺跡案内マップ
国史跡多田銀銅山遺跡案内マップ

猪名川町のこの地域全体が1000年以上にわたる鉱山としての長い歴史があり、鉱山はもとより、江戸時代の役所跡や鉱業所跡などが残されているようです。(「多田銀銅山遺跡」国史跡指定の答申について)。猪のイラストは、猪名川町のマスコットキャラクター「いなぼう」です。

堀家製錬所の歴史
堀家製錬所の歴史

堀家製錬所の歴史 
 多田銀銅山は明治28年(1895年)島根県津和野の鉱業家、堀藤十郎礼造が先代の「堀藤十郎伴成」名義で「多田鉱山」という名称で採掘特許(採掘する権利)を得て、明治30年(1897年)から銀・銅・鉛を生産しました。実際の創業は地元の人びとが請負人となり、採鉱・選鉱・製錬が行われました。
 堀藤十郎礼造は鉱山の近代化を進めるため、経営している鉱山に西欧技術を用いた製錬場、機械選鉱場を導入しました。多田鉱山の製錬場は、溶鉱炉と煙道の設備が山口県美祢市の長登銅山 花の山製錬所【明治38年(1905年)開設】の構成と似ています。
 明治39年(1906年)に多田鉱山では生産規模を拡大するため、それまでの手選鉱から機械選鉱への転換を計画しました。翌年、建物が落成し機械の据え付けが進みました。
 しかし、明治40年(1907年)秋に始まった銀・銅の価格暴落によって、明治41年(1908年)に鉱山は休業しました。多田鉱山は大正14年(1925年)に久原鉱業(後の日本鉱業)に鉱業権がうつるまで、「多田堀鉱山」と呼ばれました。堀家製錬所は、昭和48年(1973年)の日本鉱業多田鉱山の閉山時に梅槌で覆われました。(案内板より)

悠久広場から見える消防団
悠久広場から見える消防団
悠久広場から見える「悠久の館」(多田銀銅山 悠久の館/悠久広場/青木間歩(猪名川町)
あの道の先は見どころ満載なのだな
あの道の先は見どころ満載なのだな
情報収集とトイレ利用のため、悠久の館へ
情報収集とトイレ利用のため、悠久の館へ

※悠久の館は入館無料です。古文書などの展示をしていますが、この時は展示スペースには立ち寄っていません。

悠久広場に合った案内や、多田銀銅山跡地の価値などを示した展示
悠久広場に合った案内や、多田銀銅山跡地の価値などを示した展示
多田銀銅山ゆかりの人々
多田銀銅山ゆかりの人々
銀山地区の紹介
銀山地区の紹介
多田銀銅山の概要など
多田銀銅山の概要など
裏手は代官所跡遺跡になっています
裏手は代官所跡遺跡になっています
段差のある石垣が残っていますね
段差のある石垣が残っていますね
案内板の図を拡大
案内板の図を拡大
ぼんやりと分かるような気がした
ぼんやりと分かるような気がした
近代化産業遺産平成19年度経済産業省

一方、大阪近郊に位置する多田銀銅山も中世以来の歴史を持つ鉱山であり、明治以降、近代化が進め
られた。島根の鉱山家らにより採掘が行われ、昭和になってからは、日本鉱業(株)が採掘を行ったが、1973年に閉山となり、その歴史に幕を下ろした。経済産業省 近代化産業遺産群33より(PDF)

悠久広場は階段を登った上にあります
悠久広場は階段を登った上にあります

さー、パンフレットも手に入れて準備万端整ったので、いざ!散策へ

おや、ここにもトイレがありました
おや、ここにもトイレがありました
案内板を確認しつつ歩きます
案内板を確認しつつ歩きます
石垣もいい雰囲気です
石垣もいい雰囲気です
良い子のお約束だよ!
良い子のお約束だよ!

「鉱石は持ち帰らないようにしましょう。」見といてよかった。気軽に記念で持ち帰ってたかもしれない所だったぜ…

銀山橋
銀山橋
銀山橋が架かっているのは銀山川
銀山橋が架かっているのは銀山川
高札場跡

高札場は全国各地にありますが、幕府や領主からのお知らせや、ルールの掲示、そして「この者はこのような悪いことをしました」というお知らせなどを木の板に墨書きして貼り付けておく、大きな掲示板のような物でした。そのため、人通りの多い場所に設置されていました。ここも道沿いの一段高くなった場所にありました。

定(さだめ)
定(さだめ)
栗の残骸
栗の残骸
かつては家があったかのような石積みの段
かつては家があったかのような石積みの段
こし屋根がかわいい
こし屋根がかわいい
どんどん歩いていきましょう
どんどん歩いていきましょう
平炉跡
平炉跡

詳しい時代は不明。採掘された鉱石が精練された炉の跡と考えられているようです。

金山彦神社入口
金山彦神社入口

金山彦神社は大同2年(807年)に建立され、天禄2年(971年)、源満仲により修理がなされたという伝承が残っています。「金山彦神社」は鉱山の神様をまつっており、全国各地の鉱山で建立されています。現在の本殿は、多田銀銅山の最盛期である寛文年間に建立されたものです。(パンフレットより:補足「寛文年間」1661年から1673年まで)

みたらし橋と鳥居 鳥居の額には「山神宮」とあります
みたらし橋と鳥居 鳥居の額には「山神宮」とあります
橋の左側の道標「天正慶 豊臣公 瓢箪鉱山 七百五十三(米)山水抜廣芝吹屋裏」
橋の左側の道標「天正慶 豊臣公 瓢箪鉱山 七百五十三(米)山水抜廣芝吹屋裏」
青木間歩へ向かっています
青木間歩へ向かっています
電柱
電柱
露天掘りの跡は後にします
露天掘りの跡は後にします
青木間歩(あおきまぶ)
青木間歩(あおきまぶ)

唯一坑道内を体験できる間歩とのことで、午前9時~午後5時まで自由に見学可能です。「間歩」とは鉱山で、鉱石を取るために掘った穴。坑道。とのことです。

青木間歩入り口
青木間歩入り口
青木間歩周辺の様子
青木間歩周辺の様子
素敵なベンチもあります
素敵なベンチもあります
入り口付近にヘルメット
入り口付近にヘルメット
頭上注意
頭上注意
照明があるので見やすいです
照明があるので見やすいです
ほどなくして行きどまりでした
ほどなくして行きどまりでした

温度計の値が分かりませんが、ひんやりとしていました。ダムなどでも堤体内は10℃ぐらいだったりしますから、そのぐらいかもしれません。

水滴
水滴
採掘跡
採掘跡
岩の感じ
岩の感じ
「昭和29~48年まで機械で掘削した坑道が残っています」
「昭和29~48年まで機械で掘削した坑道が残っています」(のせでん日生中央駅 より)
脈状鉱脈
脈状鉱脈

鉱石の生成時代は白亜紀後期ないし末(6400万年前後)と考えられる。火成作用により鉱脈が安山岩、流紋岩中を切って存在する。主要鉱物は石英脈中に銀鉱物、斑銅鉱、黄銅鉱、方鉛鉱、セン亜鉛鉱がみられる。(案内板より)

岩肌に水滴がしとしと
岩肌に水滴がしとしと
見る人が見ればお宝の岩なのかな
見る人が見ればお宝の岩なのかな
水滴だらけです
水滴だらけです
戻ります
戻ります
露頭掘りの跡
露頭掘りの跡
意外と狭い空間です
意外と狭い空間です
高さはわりとあります
高さはわりとあります
剥離した感じ
剥離した感じ

青木間歩の先には日本鉱業多田鉱業所跡、多田銀銅山大露頭、台所間歩、瓢箪間歩と見どころが続くのですが、突然の腹痛により、多田銀銅山ツアーはここまでとなりました。

再び戻った悠久の館
再び戻った悠久の館

兵庫県と大阪府の県境、近畿地方のほぼ中央に位置する猪名川町は大阪市まで30㎞県内と近く、無料で見学できる素敵な場所です。

参考:第3章 史跡多田銀銅山遺跡の概要(PDF) / 39.廣芝銘道標一覧 / 猪名川観光 多田銀銅山の史跡 / 本邦鉱業一斑. 明治40年本邦鉱業一斑. 明治40年 附表 / 雑誌「遠鳴」の続き 令和2年7月5日

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