【福岡】筑前町立 大刀洗平和記念館

九七式戦闘機
筑前町立 大刀洗平和記念館 GoogleMaps

甘木線太刀洗駅から200mほどの距離にあります。

筑前町立 大刀洗平和記念館 入り口
訪れたのは2022年11月3日

 企画展は「天空に生きた若者たち」として、遺品の展示や遺言などがありました。撮影して良い範囲が限られていたため、写真は極端に少なくなりますがご了承ください。

MH2000ヘリコプターA型5号機(登録番号JA003M)

入り口の左側には三菱重工業のMH2000ヘリコプター(Wikipedia)の展示がありました。日本で初めて日本の技術だけで作った国産ヘリコプターで、展示のヘリコプターは2004年9月まで首都圏での遊覧飛行を実施。2005年3月に筑前町が取得したものとのこと。

案内板
結構大きい。乗員含め10名が収容可能。
青い空に青い機体
横から
大刀洗平和記念館の年表はもっと詳しく書いてありました。

表は「大刀洗町史」から大刀洗飛行場部分を抜粋したもので、郵便や一般旅客航空の記載を除いたものになります。

幻の試作機「震電」

飛行機の写真は撮って良いけど他はダメ、とのことでしたので、いきなり飛行機の写真です。

横から見た震電
震電後ろ姿
震電の星型プロペラ

震電は福岡の九州飛行機株式会社で作られたB29を迎え撃つための局地戦闘機。1945年6月、1号機が完成、同8月3日、試験飛行にて初飛行。その後6日、8日と試験飛行を行ったが故障が発生。三菱重工業から部品を取り寄せている最中に終戦となった。

2F左翼側から

機体は国内に残っておらず、現存機はアメリカの国立航空宇宙博物館別館で展示されているそうです。

2Fから見た震電
変わった形

前翼型(エンテ型)と言うようです。昆虫のホウジャクを思い出すずんぐりとしたフォルムです。

2Fからの真横
震電のプロペラと翼の「オスナ」
館内マップ
零式艦上戦闘機三二型(Y2-128)

零式艦上戦闘機三二型(零戦)は世界で唯一の現存機。

手前が震電、奥が零式艦上戦闘機三二型(Y2-128)

当時の日本の軍用機の名称には採用年次の「皇紀」の下2桁を冠する規定があり、零戦の採用は皇紀2600年であったため、「00」零戦と名付けられたそうです。令和5年(西暦2023年)は皇紀2683年になります。

零戦は階段があり運転席を見れます
運転席
左翼
右翼
下から見たところ
左翼を下から見たところ。奥に震電のプロペラが見えます
発動機機首に穴やへこみが見えます
プロペラにも傷
2Fから見た零式艦上戦闘機三二型(Y2-128)

この機体はマーシャル諸島タロア島の施設が壊滅、滑走路脇のジャングルで昭和53年(1978)にアメリカ人のスティーブ・アイケン氏によって発見されたそうです。

九七式戦闘機
平成8年(1996)9月に、博多湾埋め立て工事の現場で発見。
九七式戦闘機(キ27乙)

昭和20年(1945)4月、特攻出撃命令を受け、満州から熊本県の菊地飛行場へ向かっていたがエンジン不調のため、博多湾内へ不時着したもの(Wikipedia)とされており、操縦していたのは鳥取県出身の特攻隊員渡辺利廣少尉と判明しています。

パンフレットより
2Fから見た九七式戦闘機

渡辺利廣少尉は不時着時漁船に助けられ、知覧飛行場へ向かった後、別の九七式戦闘機へ搭乗、沖縄方面へ特攻出撃し24歳で戦死したそうです。

九七式戦闘機は陸軍初の全金属製単葉

過去の日本人が生き残ろうと必死に抵抗して今の日本がある。易々と手に入ると相手が思うなら攻撃を迷わない。迷わせ続ける方法をとりつづけ長らえなければならない。過去の日本人と未来の日本人のために、8月はそんなことを考える事の多い月です。

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