アジア初の発電用ダムの撤去事例として、日本三大急流の一つである球磨川の荒瀬ダム跡(GoogleMaps)を訪れました。訪問は2023年2月15日水曜日。(国土地理院の地図では撤去前の姿を見ることができます)
荒瀬ダムは堤高25mの重力式コンクリートダムで、戦後の電力の安定供給のため昭和30年(1955年)竣工しました。下流約700mには熊本県営藤本発電所があり、発電量は年間約7,400万kW時で、当初熊本県内の16%の電力需要を満たしていました。
2002年村本村議会はダム撤去を求める請願書を熊本県に出しました。ダムの振動や騒音、きれいな球磨川を取り戻したいなどの理由でした。
2003年6月には河川環境に配慮したダム撤去対策等を検討するための委員会や検討会が立ち上がりました。参考:荒瀬ダム撤去に関するパンフレット(PDF)
2003年12月に潮谷義子前知事が荒瀬ダムの撤去を表明していましたが、その後就任した蒲島郁夫前知事(2008年~2024年4月15日まで)が撤去するにもお金がかかると凍結します。しかし、2010年に水利権が失効したため発電は停止、2012年から撤去工事が着手されました。
荒瀬ダム撤去は環境に配慮した撤去工法がとられました。
ダム撤去後は川の水がきれいになりはじめ、干潟でも生態系の再生が見られ、2014年度に川の生態系を調査したところ、2004年度に比べほぼ7倍に増えたそうです。
2018年3月20日、展望台の整備が終了し、ダム撤去工事が完了しました。
荒瀬ダム跡を見た後、球磨川を上流に向け国道219号を行きました。
最初、橋の遺構かなと思いましたが、ブルーシートの部分でもわかる通り、令和2年(2020)7月豪雨の爪痕でした。
令和2年7月3日・4日の豪雨は、線状降水帯が球磨川流域及び支流川辺川流域に長時間居座り、戦後最大の水害と言われた昭和40年7月を大きく上回るものとなり、流域市町村全体では、死亡者60人、行方不明者2人、被害住宅など、未曽有の激甚的な災害となった。
第1回令和2年7月球磨川豪雨検証委員会 議事録 より
先ほどは撤去された発電ダムを見ましたが、ここからは治水目的の川辺川ダムの存在がクローズアップされることになります。
2008年に球磨川の治水対策として計画されていた川辺川ダムの建設凍結宣言を出した蒲島熊本県知事。2020年7月に起きた熊本豪雨に於いても「改めてダムによらない治水を極限まで検討する」と強気でしたが、2020年8月に開かれた「第1回令和2年7月球磨川豪雨検証委員会」では
10余年に及ぶ「ダムによらない治水」の検討の場は、結論さえも見出せない空白の時間であった
第1回令和2年7月球磨川豪雨検証委員会 議事録 より
とのそしりを受け、次いで2020年10月に国土交通省が公表した「川辺川ダムが存在した場合の効果の推定について(PDF)」によると、もし川辺川ダムがあれば、今回の浸水被害の6割以上が減らせただろうと推定しました。これらを受ける形で、2020年11月に蒲島知事は川辺川ダムの建設容認へ転じました。
大昔から日本人は治水と共に歩んできました。しかし、ダムを無くし豊かな球磨川をと望んだ住民がいるのも事実です。環境負荷を軽減しながら人々の命を守る政治判断ができるよう、地元の人々一人一人が考えなくてはならないのだろうなと思いながら球磨川を後にしたのでした。
参考:
- 国土交通省 令和2年7月豪雨球磨川水害伝承記
- 国土交通省 九州の一級河川>球磨川
- 荒瀬ダム撤去工事について | 一般社団法人九州地方計画協会 (k-keikaku.or.jp)
- 荒瀬ダム撤去前後における球磨川水系潮間帯の底生生物の出現パターンの変化(PDF)
- 荒瀬ダム撤去環境モニタリング調査報告書の完成について
- 球磨川流域治水協議会・令和2年7月球磨川豪雨検証委員会
- 川辺川ダムの概要(PDF)
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