関門トンネルは、自動車道と人道の両方があります。関門橋を目指して海沿いを歩いてゆくと、関門トンネル人道の門司側入り口があります。
バナナのたたき売り発祥の地が門司港らしいです。
結構広いスペースになっています。
大潟村に行ったときとはまた違った心許なさを感じました。板子一枚上は海の不安な気持ちと言いましょうか…
海底部は780mの長さです。毎日本州と九州を行き来する多忙を極めたランナーなどもいるようです。
ここで反復横跳び繰り返したら「今日めっちゃ本州と九州行き来してきた!」って言えますね。
下関側に到着しました。1キロもないのに体力が無いせいか、そこそこ疲れました。
スタンプは下関側と門司側の二つ揃えると、一つの円形が完成する仕掛けになっています。
クジラとイルカの二つで一つ。
下関側はクジラのエレベーターですね。
海辺の広場は「みもすそ川公園(GoogleMaps)」といいます。漢字は「御裳川」。長州の大砲や、源平合戦のクライマックス壇ノ浦の戦の1シーンを表現した像等を展示しています。
背後には「武蔵・小次郎 巌流島の決闘」の紙芝居を見せる人と、それを取材している人がいました。無料で見れるようです。
反射炉の回で述べたように、鎖国で惰眠をむさぼっていた日本に、開国の波が強引に押し寄せてきていた時代の話です。幕府が生麦事件(Wikipedia)の対応などでてんてこ舞いの頃、我が物顔でやってくる外国船に対し、長州藩は下関で砲撃を繰り返し、外国の商船を追い払ったりしていましたが、よくもやりやがったな!と激怒したアメリカ、フランス、イギリス、オランダ等にやり返され、長州の大砲などは外国勢によって鹵獲されました。1864年、長州藩は講和使節の使者に高杉晋作を任じました。下関戦争(Wikipedia)
この位置から対岸の門司埼灯台まで700mもない距離です。最初にやられた外国商船はさぞや肝を冷やしたでしょうね。しかしその後報復に訪れた外国の軍艦は長州砲の射程外からガンガン狙って撃って来たので、性能の差はいかんともしがたかったようです。
参考:幕末の鋳物の大砲 中野俊雄(PDF)/幕末の鋳物の大砲(続) 中野俊雄(PDF)
負けを認め、強い国に学ぶ姿勢が明治維新を成し遂げた原動力なのでしょう。当然ではありますが、相手が話し合いに応じないような国でなかったのも幸いであったし、日本も外国勢に日本人を奴隷扱いさせないだけの国力を備えていたことも幸いだったと思います。
※動画を撮ったので、編集したものをこのページに挿入予定です。お楽しみに。
火の山公園は4月になるとチューリップと桜がそれは見事なのだそうですよ。5月になるとツツジも咲くそうです。
関門トンネル人道の門司側で、おでん弁当を売っている若松屋さんでお弁当を買いました。この時は2022年10月、弁当のみの販売でした。
遊歩道にはたくさんベンチがあるので、おでん弁当を食べながら、行き交う船を眺める優雅なひと時をすごしました。
夏になると関門海峡花火大会が開催されるようですよ。
そういえば、関門橋改修で、面白いネジが使われているようです。センサー機能を備えたネジで、リアルタイムで損傷具合が分かるらしく、AIで監視できるのは素晴らしいなと思いました。
参考:「緩まないネジ」が関門橋の損傷度合いを監視
日経クロステック/日経コンストラクション
2022.10.18
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