
ピンクが今回の移動足跡です。途中、旧相川税務署、鐘楼、旧相川拘置支所等に寄りました。
佐渡市の相川はかつての鉱山町で、江戸時代初期の鉱山開発に伴い誕生しました。江戸時代初期の鉱山最盛期には5万人余りもの人が暮らす大都市だったそうです。



印象的なレンガの煙突の建物を左に曲がります。

最近好きな歌手に杉本ラララさんという方がいて、「死ぬほど生きる」というキャッチフレーズがあります。



昭和6年(1931)建築、昭和45年まで税務署として利用されていました。本館の他に書庫、石積み、門及び袖塀などが国指定有形文化財として登録されています。


旧相川税務署は国登録有形文化財に登録されています。
- 佐渡市「国登録 有形文化財:旧相川税務署」
- 文化遺産オンライン
- 「旧相川税務署本館 きゅうあいかわぜいむしょほんかん」
- 「旧相川税務署書庫 きゅうあいかわぜいむしょしょこ」
- 「旧相川税務署石積 きゅうあいかわぜいむしょいしづみ」
- 「旧相川税務署門及び袖塀 きゅうあいかわぜいむしょもんおよびそでべいそで」



旧税務署の左手には徳川時代の牢屋刑場の跡があり、処刑者断首の跡地とのことで、明治以来は廃止され無縁供養塔が設置されました。







所々階段の工事をしていました。


煉瓦塀の向こうには「佐渡版画村美術館()」があり、公衆トイレもあります。


時鐘楼は平成15年に改修されました。左に入ると公衆トイレがあります。

公衆トイレを使ったとき、猫がいました。


相川市中の時報。正徳3年(1713)から鐘をついて明治4年(1871)頃まで町民に時刻を知らせていたが、近年復活して朝夕使われているそうです。










訪れたのは5月1日ですが、「宵乃舞」の雪洞(ぼんぼり)は、京町音頭流し「宵乃舞」のイベントに伴うもので、毎年6月の上旬の週末2日間に渡って、江戸時代から続くここ京町通りで「相川音頭」を踊り流す行事が開催されています。







ずっと京町通りを歩いていますよ。







現在は映画館のようです。



とはいえ、住民が使う道路なのでしょうから私有地かもしれません。安全のためメインストリートを行きましょう。






佐渡島のあちこちで、このような木製の装飾がある自販機に出会います。どなたが作っているのでしょう。鬼瓦に「水」の文字があるのも楽しいですね。

佐渡島では風が強く、屋根を低く作り、その上に石を乗せる家屋が多く、瓦は割と近年に使われるようになったようです。相川では明治12年(1879)に中京町の萩野勘内が瓦を生産。









相川拘置支所の片隅では、石を加工した品々の展示がありました。独特の模様があるものは採掘で出た石のように見えました。





参考
- 国登録 有形文化財:旧相川拘置支所
- 旧相川拘置支所事務所棟 文化遺産オンライン
- 文化庁 旧相川拘置支所門及び塀

旧相川拘置支所
昭和29年(1954)に新潟刑務所相川拘置支所として開設された。昭和44年に裁判所・検察庁の新庁舎が佐和田地区中原に完成したが、拘置所と裁判所は相川に据え置かれ、拘置所施設として同47年まで使用された











それでは中を見に行きましょう。建物の性質上、手洗い所や便所の写真も出てきます。




一日2回30分までの面会ができたそうです。














被収容者が最初に入る部屋が調室、そこで私物などを領置箱に入れ、領置庫で保管していたそうです。


今度は事務棟の反対側へ移動しましょう。




結構背後が近いですね。









この後、メモリーカードが一杯になり、交換したのですが、撮れていませんでした。一番見せたい居房の写真がありません。とても残念な気持ちです。動画では残っているので、後ほど差し込む予定ですので、そちらもご覧いただければと思います。あぁ悔しい。
参考:国立国会図書館デジタルコレクション


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