正確には東口本宮冨士浅間神社(地図)と言うようです。冨士浅間神社HP
平安時代初頭、桓武天皇の時代・延暦21(802)年、富士山東脚が噴火し、斎場を設け、鎮火祭を執り行ったところ、その年の4月に噴火が納まったとの事で、斎場跡に神をお祀りしたのが御由緒。
かつては弘法大師が修業を行った場所でもあるそうです。
富士と呼ぶようになったのは奈良時代あたりで、それまでは不二、福慈、不尽等と呼ばれていたようです。
石畳と外灯が落ち着いていて良い感じです。
綺麗な水がさらさらと流れていました。
この道は鎌倉往還と呼ばれているようです。冨士浅間神社の境内地図のページ
鳥居を入って右側にあります。御祭神の木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)様の御神徳から、縁結びの木として慕われているそうです。
真ん中から水が湧いてる感じでした。ここから水が出ているのでしょうか。
社殿に近い手水舎で清めました。ちゃんと作法が書いてあるのでその通りに洗いました。
参拝する時のお賽銭は、その時財布の中にある一番価値が大きな丸いお金を使うことにしています。
四角いお金じゃなくてごめんなさい。その時財布の中の最高の価値の丸いお金、相方は500円、私は100円でした。「チッ」と言うtanu。100円のくせに、長いことお願いしてる私。この二人にご利益はあるんでしょうか…ナイカモシレナイ
夕方5時過ぎてましたので、おトイレは閉まっていました。
この神門の左右には富士山が祀ってありました。風神雷神みたいなのを想像していたら、とても可愛らしかったです。さすが冨士浅間神社だと感動しました。
ものすごい存在感です。今にも動いてこっちに来そう。
獅子千尋の谷がモチーフのようです。怖い顔です。
情けない顔してるのかなと思ったら、お獅子の子はお獅子でした。
私はこの狛犬像がとても気に入ってしまいました。本当に動きそうなたたずまいと気迫に満ちた表情が素晴らしいです。もしかすると夜中にコッソリ動いてるかもしれないと妄想してしまいました。
こちらの竜は、本殿の竜より若い雰囲気です。
「良い子のみんな、手水はこのように使うのじゃぞ!」と、親切な竜が教えてくれてる雰囲気です。
裏参道から表参道に抜けてきたようです…どうりで、社殿近かったはずです。
例えば、書物で読んでもスルーしてしまうかもしれないような、こんな何気ない言葉が、このような場所ではとても印象深く心に残る時があります。
下のほうに流れていました。
道路側にまわると、滝になっていました。名前の信しげの由来は不明だそうです。冬の寒い時にはつららができるときがあるそうですよ。
左奥に白い富士山の山頂が写っていますが、見えるでしょうか…
浅間神社(せんげんじんじゃ・あさまじんじゃ)とは…富士山信仰の神社。東口は、須走口とも呼ばれ、富士山登山の入り口を表す。Wikipediaより
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