馬車道という呼び名は地域での呼び名のようです。神奈川県横浜市中区にあります。みなとみらい線の馬車道駅で下車します。
駅のホームで透明の椅子初めて見たかも。
4,5,6,7出口方面へ進むと、壁面がディスプレイになっています。展示物のない場所には、今後壊されていく古い建物のパーツを蓄積保存する目的であるようです。
馬車道駅の地上にあった旧横浜銀行本店別館にあった貸金庫の扉、金庫室の扉、貸金庫前室扉、階段手すりなどが展示されています。
横浜市認定歴史的建造物「馬車道大津ビル」で1960年から40年近く使われていた温水ボイラの前面パネル。ビル内の約50台の暖房ラジエーターに温水を送っていたようです。
江戸時代に日米通商修好条約が結ばれ、関内に外国人居留地が置かれると、外国人が馬車で往来するようになり、当時としては物珍しいその光景を「異人馬車」と呼び、そこから馬車道と呼ばれるようになったそうです。
4番出口から外に出ると、赤い煉瓦の横浜第二合同庁舎が見えます。
いずれも大正15年(1926年)に建てられました。
1929年第一銀行の横浜支店として竣工。
旧富士銀行横浜支店、現東京芸術大学大学院 映像研究科。1929年完成。
明治37年(1904年)完成。国の重要文化財に指定されています。現在は神奈川県立歴史博物館。改修工事のため、4月下旬に再開の予定。
関東大震災の火災の折、ドームは消失してしまったそうですが、その後復元されました。
明治5年(1872年)に日本初のガス灯が馬車道に灯されました。馬車道にはガス灯が使われています。特別なガス灯には説明がありますので、それを見ながら歩くのも楽しいですよ。
観光地ではよく見かけるシックな外観のローソン。
どことなく抑え目な色調。
ファミリーマートはいつもの色調でした。
所々にベンチが設けられています。
美しい景観づくりのため、各商店により柳と松の街路樹が植えられた、近代的街路樹の先駆。
イギリスからやってきたガス灯は、東京ガスの協力で設置されました。
当時ドイツがガス会社の建設を申請したのですが、外国に権益を奪われることを憂い、横浜の父と呼ばれる高島喜右衛門が数名と日本社中というガス会社を結成しました。
その日本社中によって馬車道に最初のガス灯が設置されたのです。
当時のガス灯は柱部分を英国グラスゴー市から輸入し、灯具は日本人職人により制作されたようです。点灯しているガス灯は当時のガス灯を再現した物との事です。
街路には小さなプランターがあり、パンジーなどが植えられていました。季節によって変えているのでしょうね。
一帯は整然とした区画になっているので、隙間道も真っ直ぐです。時間があれば大通りを横断する隙間道も見たかったです。
コメント