ここは、みなとみらい線の馬車道駅です。
透明の椅子がオシャレなホームからエスカレーターで上に上がります。
特色のある天井の改札を出てエスカレーターを登ります
煉瓦の壁面には古い建物の一部などが記録・保管を目的として展示されています。
日大通り方面へ歩くと見えてきました。横浜開港記念館は通称「ジャックの塔」とも言われ、神奈川県庁(キング)・横浜税関(クイーン)と共に、横浜三塔として親しまれています。
ちなみにここは入り口ではありません。右側に曲がります。
大正6年(1917年)に完成した開港記念横浜館は大正12年(1923年)の関東大震災で、時計塔と壁の一部を残して倒壊しました。昭和2年(1927年)に復旧工事が始まります。
戦後昭和20年(1945年)~昭和33年(1958年)まで、連合軍によって接収されていた時期もありました。
通常の見学は10:00~16:00までで、入場は無料です。毎月1回一般公開をやっていて、その時は日頃使用中で見れない講堂・会議室なども見れるようです。
きょろきょろしてると、係の人が案内してくれることになりました。ジャックサポーターズという養成課程を経た館内ボランティアさんです。
まず2階に行くようです。
このような円形の窓をばら窓と言うそうです。
講堂がたまたま見れるようだったので案内してもらいました。
かなり遠くからズームして撮ったので、ブレがすごく、判別できる写真はこれだけでした。帆船のようです。
時計塔への階段は117段あるとのこと、この日は閉まっていましたが、今年は横浜3塔の日(3月10日(さんとう))に特別公開したそうです。
2010年に横浜開港150周年記念事業の一環として、この3枚のステンドグラスの修復を行ったそうです。
ステンドグラスは、日本のステンドグラスの開祖、宇野澤組ステンドグラス製作所により設置された由緒あるもの。創建当時、国会議事堂のステンドグラスでさえ外国製で、日本のステンドグラスの歴史を語る上でも貴重なものといわれている。修復は、2階広間にある3枚。作業は横浜市在住のステンドグラス作家・平山健雄さんの協力のもと実施する。
(横浜経済新聞)
「横浜の人は単純で~横浜って名前も、横に長い浜だったから横浜になったんですよ~」と言いつつ、ステンドグラスの真ん中に「ハマ」と書かれた部分があることを教えていただきました。これはハマ菱(はまびし)と呼ばれているそうです。市章にもなっています。
ステンドグラスの修復工程等のポスターがあります。
昭和2年に再建した時ドームはなく、平成元年(1989年)に修復され、その年の9月に国の重要文化財に指定されました。
平成9年に制定された「横浜市福祉のまちづくり条例」に基づいて行われたエレベーター設置の際、建物の一部を切断しました。なので、以前の建物の切断面が見れます。
帯鉄と丸鋼とで 補強した耐震用構法。煉瓦の下部に帯鉄が見えます。
段差を解消する為に廊下の床を底上げしてあります。両サイドは元のタイル張りの床が見れるようになっています。
2階の階段にある大きなステンドグラスは、ペリー提督の乗艦ポーハタン号です。関東大震災で被害にあいましたが、こちらも忠実に再現されたものだそうです。
目を凝らしてみてください。右側にある富士山のそばにアメリカ国旗が見えますか?
戦時中の規制を乗り越えて、残っているのはとても感動的です。横浜の人々も良くこのステンドグラスを守ったなと、感心しました。
ここは入り口から見るのみで会議には使われていません。
館内ガイドさんのおかげで、とても楽しく見ることができました。ありがとうございました。
改めて外観を観察してみると…
ここにもハマ菱がありました!
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