南相馬市へ向かう国道6号の、まだ復興の兆しが見えない帰還困難区域を通りました。
Jビレッジ再始動や道の駅ならはの再開を喜びましたが、まだフェンスで通れない場所があります。
この建物は、年ごとに割れた大きなガラスが落ちて行っています。風雨や大地が動くたびに人知れずガラスを振るい落としてきたのでしょう。結構大きな音がすると思いますが、止まれませんので、観測する人はいなさそうです。
車が停まってますが、閉鎖区域の住人のものでしょうか。動画も撮りました。
横川ダムに到着です。
お昼をとうに過ぎてたので、ダムを見る前に地元のスーパーで買ったお弁当を車で食べていると、管理所からラフな格好のおじさんが出てきて「ダム見に来たんでしょ?」とたずねてきたので、そうだと答えると、納得していずこかに見回りに行きました。
さー見て回りましょう。
入っちゃダメなの??
さっきのおじさん戻ってきて~!っていうか、のんきにお弁当食べてる場合じゃなかった><
先に知ってたら、絶対あの時天端見せてってお願いしたのに…
あの人たち我々ダム部の後で来てたけど、立ち入り禁止になってるのに躊躇ないなぁ…それはともかく、あの赤い橋っぽいのなんだろ。
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=1479982#1
空中写真 CTO20121-C8-2 国土地理院の写真をダム部分だけ切り取り加工してあります。
国土地理院の俯瞰の写真で見ると、管理用の橋のように思えます。多分一般人はあの橋渡れないのでしょうね。
立ち入り禁止を遵守した結果、下流側の撮影はこれが限界でしたので、県道49号からぐるっと回って上流側の左岸へ移動します。
落石もあって危ないから立ち入り禁止にしてるんでしょうね。
水位下がってるようですね。
右側の黒く飛び出ている岩は「赤根立石」と呼ばれているそうです。看板が倒れていたので、記録としてページの末尾に転記しておきます。
横川ダムを後に県道49号沿いに行くと、堰堤のようなものが見えました。
場所はこの辺。
ため池のようです。
関東への帰り道に横川ダムのそばのダムに寄ろうと思ったのですが、帰還困難区域に入ってしまったようです。
帰り道でトイレのために立ち寄った葛尾村復興交流館あぜりあ。木を基調にした、温かみのある新しい施設です。もう夕方になってたので、ひっそりとしていました。
建物の裏手には葛尾川が流れていました。
奥には遊具もあります。
こういう話弱いです。どんどん大きくなってほしい。次に見に来る時はどれぐらい大きくなってるかなぁ。
平成12年9月11日に記念式典を開いたそうです。しかし、平成13年5月31日に死亡事故が起きました。13,262日目でした。葛尾村交通死亡事故ゼロ記録の歩み
少し寒くなってきたので、あぜりあ館でホットコーヒーを買って帰りました。
赤根立石の由来 平成十年八月吉日
その昔相馬藩主相馬重胤(そうましげたね)公が、奥州行方郡に下向の折、津島を経て昼曽根から横川に至り川沿いの谷川道をくだる際、馬場村、内山に、山神祠を安鎮されそして向山の中腹に聳え立つ巨大なる立石、その高さ三丈有余尺周囲一丈五尺余りにも及ぶ神秘的な立石に行方郡の統一と領民の安泰成就を祈願され、以来、山神祠の信仰のもと赤根の立石と呼ばれ道行く人の安全と疫病悪霊の侵入を塞ぎ賽の神道祖神としていたく里人からの信仰を集めその霊験さは傳説とともに今も村人の心の中に生きづいているのであります。
当時太田川には七不思議として蛇石叶石天狗のつかみ石その他往時の景観がダムの湖底に消え去るのを惜しみダム建設時に当局のご厚意によりこの立石の保存に当てられたと聞き及んでおります。
地元としても感謝の念一層深く、原町~浪江線開通を記念して道行く人々の安全を祈願し、また人類の倖せを希い長く保存して後世に傳えたいと願うものであります。
赤根立石保存有志一同
内容的に6代当主かもしれません。
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