旧熊ノ平駅(Wikipedia)まではアプトの道を辿らず、熊ノ平駅駐車場に車を停めて歩いて行くことにしました。(安中市観光パンフレット)官営鉄道中山道線(後の信越本線)横川 – 軽井沢間の間の駅になりますが、新幹線の開通とともに横川―軽井沢間は廃線となりました。
下草の少ない季節なら旧熊ノ沢駅への階段の遺構が見えるようですよ。
明治26年(1893年)熊ノ平駅は給水給炭所として設置されました。
勾配のきつい場所に鉄道を通すときにアプト式やスイッチバックが利用される場所があります。
アプト式(Abt system)とはラック式鉄道の方式の一つで、2~3枚のラックレールを歯形をずらして設置したものを指す。このアプト式ラックレール走行用の機関車をアプト式機関車という。
横川~軽井沢間が開通するまでの経緯を綴った碑です。
明治26年(1893年)4月軽井沢駅に建立されましたが、大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊し放置されていました。これを発見した当時の横川保線区長小山五郎氏が昭和29年(1954年)熊ノ平駅に再建。漢文体の撰文(せんぶん)は明治の史学者重野安繹、山縣有朋が篆額(てんがく)を書いています。古いレールで補強されています。
母子像や、殉難碑などがあります。昭和25年(1950年)6月に大規模崩落事故があり、多くの人命が失われました。
右から旧線下り突込線、旧線アプトの道、新線下り旧線突込線、新線上り。
アプト式鉄道時代の列車は突込線によっていったんトンネルに突っ込んでから本線脇の引上線に後退して停車する、一種のスイッチバック駅だった。(Wikipedia)
youtubeで貴重な碓氷峠アプト式電車の動画がありましたので、ご紹介します。
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