米沢城跡から直線距離で900mほどの距離にある上杉家御廟所。米沢では「御廟」または「おたまや」として親しまれているそうです。
拝観料金
- 一般 400円(JAF会員は350円)
「障害者手帳のご提示があった場合、ご本人は100円引きとなります」- 高校生・大学生 200円
- 小学生・中学生 100円
国指定史跡 米沢藩主 上杉家廟所
- 指定年月日:1984.01.11(昭和59.01.11)
- 指定基準 :七.墳墓及び碑
- 所在都道府県:山形県
- 所在地(市区町村):米沢市御廟一丁目
- 解説文: 中央奥に藩祖・上杉謙信の霊屋を祀り,その全面に藩主11代にわたる霊屋が並ぶ,代表的な近世大名家墓所。外側に堀をめぐらし,墓所域内には老杉樹が群立し,森厳な雰囲気が漂う。参道及び霊屋の周辺には家臣が寄進した灯篭が整然と並んでいる。
中央に上杉謙信の霊廟があります。
建築様式は流造(ながれつくり)
奥から
- 十一代 治廣公
- 九代 重定公
- 七代 宗憲公
- 五代 綱憲公
- 三代 定勝公
建築様式は二代景勝公から八代宗房公まではいり母屋造り。九代重定公から十二代斉定公までは宝形造り(ほうぎょくつくり)。屋根の造りの違いが顕著です。
受付で貰えるパンフレットと謙信公の左側が少々違う配置のようです。
- 二代景勝公
- 十四代茂憲公記念碑
- 四代綱勝公
明治以後に死去した13代斉憲からは東京に墓所があるそうですが、十四代上杉茂憲は沖縄県令の功績をたたえられ、沖縄県民有志により歴代藩主廟に並んで記念碑が建てられています。
- 明治14年(1881年)5月18日 – 沖縄県令兼判事に異動。
- 11月8日~12月3日 – 沖縄本島全35間切を視察。
- 明治15年(1882年)5月6日 – 内務・大蔵省宛『沖縄県上申』提出。
- 5月31日 – 再度意見書提出、即日却下さる。
- 7月5日 – 帰沖。兼夫人、憲章、重を同伴。政府視察官として尾崎三良同行。
- 8月17日~8月30日 – 久米島、粟国島、宮古島、石垣島を視察(尾崎も同行)。
- 明治16年(1883年)4月22日 – 沖縄県令を免じ、元老院議官に異動。
- 5月17日 – 離沖。
Wikipediaから抜粋
上杉藩主の心構えをもって、沖縄を広く視察し、役人の意識改革が必要であると気付き、沖縄県上申として政府に提出しましたが、拙速な改革は時期尚早と判断され、更迭されてしまいます。民の側に立って奮闘したのに志半ばで無念であったろうと想像します。沖縄市と米沢市は姉妹都市提携をしています。
上杉顕孝(うえすぎあきたか)は、九代藩主上杉治憲(鷹山公)の長男で19歳で疱瘡のため亡くなりました。そのため藩主の御廟より少し奥まった場所、鷹山公の御廟の左側にあります。
(参考)
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