【青森】龍飛岬観光案内所「龍飛館」

龍飛観光案内所

国道339号線沿いにある龍飛岬観光案内所「龍飛館」は、かつて「奥谷旅館」として棟方志功や太宰治等が宿泊しており、現在はゆかりの品々や、龍飛岬についての記録や絵画などを展示している観光案内所です。

龍飛館より375m帯島方面へ移動すると、珍しい階段国道339号線(下側)に出会えます。

玄関に入ったところ
玄関に入ったところ
案内窓口

きれいで気さくな受付のお姉さんがにこやかに「どうぞ」と迎えてくれました。元旅館なので、靴を脱いで上がります。

空撮した写真
空撮した写真

ぶら下がっている剽軽なクラフトは「きんぎょねぶた」です。

六花酒造の「龍飛」

ディスプレイのケースがレトロでいい雰囲気です。

入口から奥を眺めたところ

2階には上がれません。

ヒバ材で作られた棟方志功の筆による龍飛の看板
ヒバ材で作られた棟方志功の筆による龍飛の看板

当時は龍飛地区の入口にかけられていたそうですが、一時行方不明になり、後年返却されたものとのこと。

青函トンネル着工記念タペストリー
青函トンネル着工記念タペストリー(クリックすると拡大します)
高橋竹山の部屋
高橋竹山の部屋

高橋竹山は青森県東津軽郡生まれで、津軽三味線を広く世に知らしめた津軽三味線の名人。

部屋ごとにテーマがあります
部屋ごとにテーマがあります
棟方志功の手紙
棟方志功の手紙
エゴノリ

日本海側でよくとれる海藻で、寒天などの原料です。青森の所々で乾燥させている姿を見かけました。青森の郷土料理に「エゴ天」というものがありますが、エゴノリの天ぷらではなく寒天のほうです。乾燥したものをお土産に買って家でエゴ天にして使いましたが、味を付けなかったので薄く切ってサラダの具にしたりしました。

龍飛集落の昔の写真など
龍飛集落の昔の写真など
棟方志功の作品
棟方志功の作品

棟方志功は24歳の時と49歳の時の2回奥谷旅館に宿泊したそうです。

赤丸は太宰治や棟方志功が泊まった部屋
赤丸は太宰治や棟方志功が泊まった部屋

奥谷旅館は明治35年(1902)創業の老舗旅館で平成11年(1999)まで旅館業を営んでいたそうです。

太宰治とN君(中村貞次郎)
太宰治とN君(中村貞次郎)

小説「津軽」で外ヶ浜町を案内した、太宰治の中学時代の親友N君と太宰治の部屋。

「しかし、君も、」と私は、深い溜息をついて、「相変らず、飲むなあ。何せ僕の先生なんだから、無理もないけど。」 僕に酒を教へたのは、実に、このN君なのである。それは、たしかに、さうなのである。
「うむ。」とN君は盃を手にしたままで、真面目に首肯き、「僕だつて、ずいぶんその事に就いては考へてゐるんだぜ。君が酒で何か失敗みたいな事をやらかすたんびに、僕は責任を感じて、つらかつたよ。でもね、このごろは、かう考へ直さうと努めてゐるんだ。あいつは、僕が教へなくたつて、ひとりで、酒飲みになつた奴に違ひない。僕の知つた事ではないと。」

太宰治「津軽」より
太宰治とN君関連の記事や写真
太宰治とN君関連の記事や写真
奥谷旅館周辺の様子を描いた絵
奥谷旅館周辺の様子を描いた絵
二代目女将のツカさん
二代目女将のツカさん

このお婆さんは、このごろお酒が貴重品になつてゐるといふ事実を、知らないのではなからうかとさへ疑はれた。
「けふ配給がありましてな、近所に、飲まないところもかなりありますから、そんなのを集めて、」と言つて、集めるやうな手つきをして、それから一升瓶をたくさんかかへるやうに腕をひろげて、「さつき内の者が、こんなに一ぱい持つてまゐりました。」
「それくらゐあれば、たくさんだ。」と私は、やつと安心して、「この鉄瓶でお燗をしますから、お銚子にお酒をいれて、四、五本、いや、めんだうくさい、六本、すぐに持つて来て下さい。」お婆さんの気の変らぬうちに、たくさん取寄せて置いたはうがいいと思つた。「お膳は、あとでもいいから。」
 お婆さんは、言はれたとほりに、お盆へ、お銚子を六本載せて持つて来た。一、二本、飲んでゐるうちにお膳も出た。
「どうぞ、まあ、ごゆつくり。」

太宰治「津軽」より
雪の龍飛
雪の龍飛
カッチョという木製の塀
カッチョという木製の塀
強風と波浪から守るための塀
強風と波浪から守るための塀

落ちついて見廻すと、鶏小舎と感じたのが、すなはち竜飛の部落なのである。兇暴の風雨に対して、小さい家々が、ひしとひとかたまりになつて互ひに庇護し合つて立つてゐるのである。ここは、本州の極地である。この部落を過ぎて路は無い。あとは海にころげ落ちるばかりだ。路が全く絶えてゐるのである。ここは、本州の袋小路だ。

太宰治「津軽」より
あわび道路
あわび道路
あわびを売った資金で道路をつくりました
あわびを売った資金で道路をつくりました
版画紙芝居
版画紙芝居

かつてこの地域には道らしき道もなく、崖を登ったり通行に危険が伴っていましたが、大正末期「文化はまず道路から」の旗印の元、牧野逸蔵氏は立ち上がったのでした。詳しくは、龍飛岬観光案内所・龍飛館のブログ「「十三の洞門」物語」をご覧ください。

昭和4年の完成時に撮られたもの。真ん中の杖を持った方が牧野逸蔵氏。
真ん中の杖を持った人が牧野逸蔵氏(昭和4年完成時)
国道339号
国道339号
国道339号
※クリックすると拡大します
青函トンネル工事最盛期
青函トンネル工事最盛期
中央は高野元孝「北の浜」
中央は高野元孝「北の浜」
三厩観光新聞
三厩観光新聞

道の駅などでもたまに学校新聞を見かけますが、子供たちが地元の事をよく調べて書いているので、とても面白く参考になります。

龍飛館エントランス
龍飛館エントランス
ヒバ材で作られており、とても丈夫な建物だそうです。
骨格はヒバ材で作られており、とても丈夫な建物だそうです。
丁寧な仕事
丁寧な仕事

龍飛館は昭和35年に改修が行われたそうですから、築61年になる建物のようです。

奥が太宰治などが逗留した部屋です。(右奥のシャッターの小屋じゃないですよ;)
龍飛館遠景
龍飛館遠景
国道339号
国道339号