この坂を下って右折すると、名瀑白糸の滝に通じる道があります。
富士の巻狩り
鎌倉幕府を開いた源頼朝は、1193年(建久4年)5月8日から6月7日にかけて、多くの御家人(将軍の家来)を集めて富士山の裾野で大規模な巻狩りを行いました。
「富士の巻狩り」といわれるこの巻狩りは、初めは現在の御殿場市から裾野市にかけての辺りで行い、5月15日から6月7日まで現在の上井出・原・内野・人穴・猪之頭を中心とする富士宮市北部一帯で行われたと伝えられています。
巻狩りは単に狩猟を楽しむだけのものではなく、富士の裾野に諸国の御家人が集まり、将軍頼朝の前で、勢子(鳥獣を追い出す人)の追い立てた獲物を馬に乗って弓で射る武術の訓練を目的とした催しで、将軍頼朝を中心とした東国武士の力を京都の公家の人たちに認めさせるための大軍事演習ともいえるものだったようです。
富士の巻狩り案内板より抜粋
お鬢水は白糸の滝の上部にあり、湧水が溶岩の窪地にたたえられ池となったもので、その水は白糸の滝の一部として流れ落ちています。
お鬢水案内板より
白糸の滝は、国の名勝及び天然記念物であり、世界遺産の構成資産にもなっています。絹糸のような、あるいは長い髪が肩に掛かって落ちているような優美な流れを見せる滝です。
この時は音止の滝へは立ち寄りませんでした。
動画も作ったので、良ければご覧ください。(動画の長さ:4分15秒)
白糸ノ滝が世界遺産構成資産に選ばれた理由
富士宮市観光協会 ふじのみやNAVIより
白糸ノ滝は、『信仰の対象』としての富士山の顕著な普遍的価値を証明する上で不可欠の構成資産であります。富士講の文書によれば、白糸ノ滝は長谷川角行が人穴での修行と並行して水行を行った場所であるとされ、富士講信者を中心に人々の巡礼・修行の場であったことから構成資産となっています。富士講信者の描いた絵図からは、18世紀の白糸ノ滝における修行の様子が知られるのみならず、現在もなお現地に遺存する石碑等を確認することができます。
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