韮山反射炉(GoogleMaps)は、金属を溶かして大砲などを鋳造するための溶鉱炉です。17世紀から18世紀にかけてヨーロッパで発達しました。内部の天井がドーム型で熱を反射する炉体部と、高い煙突からなっています。実際に稼働した反射炉として国内で唯一現存しているものです。江戸時代後期に列強諸国に対抗するための軍事力強化を図るために作られました。
江川太郎左衛門英龍(江川 英龍:えがわ ひでたつ)は幕臣の伊豆韮山代官であり通称を太郎左衛門、号を坦庵といいます。伊豆から駿河、甲斐、相模、武蔵を領地としていました。江戸を守る要所のため、1843年幕府から鉄砲方を命じられ砲学を学び、江戸時代初期のままの日本の海の防衛力に強化が必要と考えていました。黒船来航によって動揺する幕府から1853年、海防の責任者とされました。
江川 英龍は、天然痘対策の種痘を導入して接種を推進したり、国防上の観点から、パンに着目して堅パンのような兵糧パンを初めて焼き、「パンの祖」と呼ばれていたり、農兵の号令にオランダ語を翻訳し「前へならえ」「右向け右」などを取り入れた人でした。農兵の導入は英龍没後になりました。
韮山反射炉は「明治日本の産業革命遺産」です。ユネスコでは「Sites of Japan’s Meiji Industrial Revolution: Iron and Steel, Shipbuilding and Coal Mining」として、8県11市に所在する23の資産で構成されて登録されています。幕末から、明治後期にかけ「製鉄・製鋼」「造船」「石炭」の工業分野において工業立国の土台となった遺産群が登録されています。
韮山反射炉は、反射炉とその敷地が登録されています。韮山反射炉ガイダンスセンターの駐車場に車を停めて見ていきましょう。時期は2022年9月10日土曜日、中秋の名月の日です。
国道136号を北に向かうと韮山城跡と江川邸があり、そこから西へ(韮山駅方面へ)向かうと韮山時代劇場内に「大河ドラマ館(2023年1月に閉館:「鎌倉殿の13人」の衣装などの展示)」があったようです。いずれも韮山反射炉から半径3キロ圏内にあります。近くには狩野川が流れ、狩野川放水路も…自転車を借りて散策も楽しそうです。
入ると年表があり、「海外の動き」「幕府の動き」「日本の出来事」の3段構えになっており、日本の置かれた情勢が理解しやすくなっています。1853年クリミア戦争が起きていて、同じ年にペリーの浦賀来航があり、翌年の1854年韮山反射炉に着工した事が分かります。
1854年には、再びペリーが訪れ、日米和親条約をむすび、アメリカに対し「通商はしないけど、2港は開港するよ」とイヤイヤ開国したのでした。こんなに備えができていなくて大丈夫か日本と心配になります。
江川英龍は、反射炉と並行して、少しでも遠くで江戸を守るために同1854年4月、品川に第一・第二・第三台場を竣工しました。1854年11月には5・6番台場御殿山砲台竣工。目まぐるしく活躍し、翌1855年1月16日江戸にて逝去。英龍54歳でした。「幕末の巨人」と呼ぶ人がいるのも納得の働きぶりでした。(参考:お台場海浜公園 & 台場公園 台場の歴史)1854年の12月には安政東海地震(M8.4)が起きており、「死者は2,000 ~3,000人余、倒壊および焼失家屋3万戸余とされるが詳細は不明(Wikipediaより)」南海トラフ沿いを震源とする地震でした。
1855年5月、英龍の三男英敏が家督を継ぎます。1857年韮山反射炉連双2基4炉が完成します。1862年英敏没(27歳)。同じ年に英龍の五男英武がわずか10歳で跡を継ぎます。
韮山反射炉では4門の鉄製18ポンドカノン砲を作るのに成功しましたが、材料の問題で量産には至らなかったようです。そこで多くの青銅砲を作りました。1863年、幕府は青銅野戦砲100門の製造を指示しています。
1857年に完成した韮山反射炉が工場として稼働していたのは、案外短い期間だったようです。
昭和32年(1957年)に鉄骨トラスとなり、耐震補強されました。
そろそろ桜の季節なので、桜と反射炉なんて風景もいいですね。
見学にはガイドさんがいて、解説をしてくれました。
右の四角い穴は石炭投入口、その隣のアーチ型は鋳物鉄投入口となっています。
上の四角い窓は「方孔」で、溶解した鉄をかき混ぜたり、取り出して品質を調べたりします。右の丸い穴は出滓口で、溶けた鉄に浮かぶスラグなどを取り出す場所、左の出湯口から溶けた鉄が流れ出してきます。
世界遺産に登録されると、昔の状態でなるべく残していかなくてはならないので、様々な工夫が必要になります。漆喰は、下のレンガへどう影響するか見るための保護措置とのことです。この辺の詳細は駐車場付近の掲示板に説明がありました。
丸印のある煉瓦は、下田の梨本(現在の河津町)で焼いたレンガだそうです。
池の場所は本来、錐台小屋 (大砲の砲身をくり抜く施設)があったとされる場所に位置していて、今後発掘調査などを行う予定になっているそうです。韮山反射炉は、国指定の文化財でもあるため、ユネスコの保全基準と違う部分があり、発掘などやりかたの調整がややこしいという話でした。
古川に水車を設置し、錐台小屋で砲身をくりぬく作業に利用していました。世界遺産の資産範囲は、取水したと考えられる地点から水車で利用した後に排水した地点までの延長144m。
池まで引き返し、いかつめの橋を渡り対岸へ行きます。少し小高い場所から韮山反射炉が見れるようです。
ここではビールを作っているようで、良い匂いがしていました。
樹木も反射炉が見えるように一部伐採するとのことだったので、もしかしたらここからの眺めを良くするために手前の樹木は無くなるかもしれませんね。
韮山反射炉見学について(観覧料)
個人
一般(高校生以上)1人1回 500円(JAF割引を使うと50円安くなります)
生徒・児童 50円
団体
一般(高校生以上) 450円
生徒・児童 50円
観覧時間
3月から9月まで 午前9時から午後5時まで
10月から翌年2月まで 午前9時から午後4時30分まで
観覧できない日
毎月第3水曜日(この日が国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)に規定する休日である場合は、その翌日)、年末年始(12月31日~1月1日)とする。
陽気も良くて、良い一日でした。
蔵屋鳴沢 反射炉ビヤ醸造所(GoogleMaps)
- 参考:
- いずの国市国指定文化財一覧
- 文化庁 国指定文化財等データベース 史跡「韮山反射炉」指定年月日 1922年3月8日(大正11年3月8日)
- 韮山反射炉(PDF)
- 安政の幕政改革における鉄砲方江川氏 芝新銭座大小砲練習場の規模と構成 仲田正之(PDF)
- 近代製鉄の父、大島高任(「ロイク王立鉄製大砲鋳造所における鋳造法」を翻訳)
- 大島高任の高炉とヒュゲェニン著「大砲鋳造法」 芹沢正雄
- 世界文化遺産、韮山反射炉の 10 大ミステリーを解く 工学博士 菅野 利猛, (株)木村鋳造所(PDF)
- 江川坦庵 ~スライド本文・補足説明~
- 後世への確実な継承とユネスコへの提出に向けて「韮山反射炉の保存・整備・活用に関する計画」を策定(PDF)
YouTube:史跡韮山反射炉CGアニメーション
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