学問の神様と呼ばれる菅原道真公(承和12年6月25日(845年8月1日)~ 延喜3年2月25日(903年3月26日))は、平安時代の貴族で、菅原氏は、大陸の歴史や漢文学などを教える紀伝道を家業としていました。
訪れたのは2022年11月4日午前9時半ごろ。まだ開いていないお店が多い時間帯。
梅が枝餅の由来。忠臣であった菅原道真公が左遷された先が大宰府でした。憔悴した道真に元気を出してほしいと老婆が餅を差し入れ、道真公はその餅をいたく気に入ったそうです。道真の死後に老婆が梅の枝を添えて墓前に供えたから、とか、軟禁状態だった道真公に梅の枝の先に餅を刺して届けたからという説があるようです。
文様塼の塼は、現在の煉瓦またはタイルにあたるもので、建物の壁や床などに使われていたそうです。文様塼は福岡県大宰府跡出土品の一つで、国宝・重要文化財(美術工芸品)として登録されています。
鳥居の右側には案内所と公衆トイレがあります。
枯山水なのかと思いましたが、神幸式大祭の時は水を張っているようです。(神幸式大祭 秋分の日の2日前~9月25日:神幸式大祭 より)
(略)大宰府に流された菅原道真は903年(延喜3年)南館で59歳で死んだ。道真の門弟、味酒安行(うまさけやすゆき)らわずかの供が、道真の遺骸を牛車にのせて、南館から北東に向け約2キロメートルの四堂という所まで来ると、急に牛は動かなくなったので安行等は、道真が「ここに墓所を」と願っていると考え埋葬した。2年後、安行は道真の遺徳を偲び、廟を建立したのが今日の天満宮本殿の最初の姿といわれ、その後10年を経て、安行の力によって道真の御墓寺として安楽寺が創建されたとされている。
国立国会図書館デジタルコレクション「福岡歴史散歩 福岡・筑豊コース (歴史散歩シリーズ ; 7,8)」より
およそ700年前の南北朝時代に建立されたとされ、九州最古の石鳥居とされ、県指定文化財でもあります。
心字池に架かる三つの橋は、それぞれ過去・現在・未来を表しているそうです。(太鼓橋・心字池 より)
絵馬堂の横では「大菊花展」が開かれていました。
楼門とは2階建ての門のことを言いますが、当宮の楼門は太鼓橋側から見ると屋根が2層、御本殿側から見ると1層という珍しい形をしています。
(楼門 表と裏で形の異なる珍しい門 より)
足が太くて強そうな狛犬です。
どこ撮っても学生さんが写ります。皆さんにご利益があることを願います。
梅が大好きな菅原道真が大宰府に左遷されるとき、自宅の梅に語りかけたそうです。
”東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ”
その歌に応えるように、梅は京都から太宰府に一夜で飛んできたそうですよ。梅にも慕われていたのですね。
6月頃に来るときれいでしょうね。
梅が枝餅を買い食いするために天満宮門前町までもどります。
肝心の梅が枝餅の写真を撮り忘れたようです。tanuは昔食べた味が忘れられないらしく、3件ほど行きました。
本当に人が沢山いて、「時代は福岡やね!」って気分になりました。
tanuが調べたところ、鷽のモチーフではないかとのことでした。
結構並んで食べました。普通の美味しさでした。帰って見たら神奈川にも何件かあるチェーン店でした。
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