国道339号で帯島に向かいましょう。
青函トンネル工事慰霊碑に立ち寄ります。
青函トンネルができる前は海難事故の多い海域であり、当時の気象予報の技術は今と比べると低かったので、昭和29年(1954年)9月26日、青函航路に台風15号(洞爺丸台風)が襲った際、青函連絡船洞爺丸は沈没、死者・行方不明者あわせて1155人に及ぶ日本海難史上最大の海難事故が起きたのでした。
昭和36年(1961年)3月23日に建設が始まった青函トンネル工事は昭和63年(1988年)3月13日に開通しました。四半世紀に渡り続いた工事は、たびたび異常出水事故に見舞われ、34名の殉職者を出し完成したのでした。
龍飛集落では強風と波浪から家屋を守るため木製の塀「カッチョ」で周囲を囲っており、太宰治は小説「津軽」の取材で龍飛集落を訪れた際、その時の集落の様子を「鶏小舎」と表現したのでした。
宇鉄漁業協同組合長の牧野逸蔵さんは龍飛集落の名士で、昭和4年に完成した13カ所の洞門は手作業で作りました。それまでは、崖をよじ登るなどして、危険を伴っていた海岸道路の整備をしたそうです。洞門工事費用はすべてアワビの収益で賄われたため「あわび道路」とも呼ばれています。
同じ敷地には太宰治の文学碑もあります。
ここは、本州の袋小路だ。読者も銘肌せよ。諸君が北に向つて歩いてゐる時、その路をどこまでも、さかのぼり、さかのぼり行けば、必ずこの外ヶ浜街道に到り、路がいよいよ狭くなり、さらにさかのぼれば、すぽりとこの鶏小舎に似た不思議な世界に落ち込み、そこに於いて諸君の路は全く尽きるのである。
太宰治:小説「津軽」からの引用
龍飛沖では、昔から本マグロが良くとれるようです。三厩(みんまや)マグロも龍飛マグロも一本釣り漁業により釣り上げます。青森は大間マグロが有名ですが、龍飛沖でも漁をしており、水揚げされる大間漁港の名前を冠して大間マグロと呼んでいるそうです。
どうやらテレビ中継の設備のようです。
参考:
洞爺丸事故
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9E%E7%88%BA%E4%B8%B8%E4%BA%8B%E6%95%85
何度も水没の危機 34人の命奪う 「青函ようやく通った」トンネルマン万感の思い
https://www.sankei.com/article/20160325-BFUH7NF5XJJ3HI372XU5K7A6W4/
青函 トンネ ル海 底部 の地質
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjseg1960/29/2/29_2_146/_pdf
5 萬 分 の 1 地 質 図 幅 説 明 書 小 泊
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_05010_1959_D.pdf
第 80 回ウォーターフロント研究サロン 青函トンネルとボスポラス海峡トンネル
https://www.waterfront.or.jp/data_files/view/38/mode:inline
竜飛帯島中継局(地上デジタルテレビ放送)の概要及び放送エリア図
https://www.soumu.go.jp/soutsu/tohoku//hodo/h2207-09/images/0825b1003.pdf
青森県の地質
https://tohoku-geo.ne.jp/information/daichi/img/50a/52.pdf
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