
宗太夫坑は、江戸時代初期の手掘り坑道です。将棋の駒のような坑道がこの時代の特徴です。



ガイドのつかない一般の「佐渡金山コース」は宗太夫坑、道遊坑、道遊の割戸が見れる共通券1500円を購入しました。今回は宗太夫坑のご紹介です。


海抜より下まで掘っていることが分かります。


日本の主要金銀産地と輸送ルートー江戸時代-
通貨として流通が開始されたのは豊臣秀吉の天正大判・小判からとのこと。

佐渡金山の金銀銅の産出量と歴史年表
慶長6年(1601)に鶴子銀山の山師三浦次兵衛、渡辺儀兵衛、同弥次右衛門が相川金銀山を発見。
ぼちぼち採掘していましたが、急激に伸び始めたのが明治に入って機械掘りが導入されてから、特に戦争の影響もあり、昭和15年は最高を示しています。

薄暗くても見やすい案内板には他にも以下のようなものがありました。
- 様々な大判・小判
- 金山の組織一覧表(役職と分担)
- 金山町の暗しと行事
- 鉱石の採掘から小判の鋳造までの工程
- 金の採取方法
- 作業工程と手にする道具

山留の種類-坑道の維持と使い方-
山留の方法
山留作業には、坑口や坑道の維持、作業足場の確保、通路階段の作成がある。
股木(柱)と押木(梁)は、様々な方法で組まれ、岩盤には、たがねで窪みをつけて、ずれぬように埋め込んで固定する。さらに細丸太や反丸太で柱や梁を押さえ支持効果を高めていく。(案内板より)

水を汲みだす水上輪。佐渡金山の西端には杉右エ門断層という南北に1500m伸びる大きな断層があり、鉱脈を断ち切っているそうです。





山留大工は支柱で坑道を維持したり、足場や階段を設置する。




風廻し唐箕は、農具の唐箕をベースに改良・大型化された人力の送風機(通風装置)のようです。



採掘作業は4時間毎の交代制だったそうです。なぜかザルに小銭が集まっていました。観光地あるあるですね。


坑道内に溜まった水を手繰る人海戦術が水替人足を使って行われた。きつい仕事だったが、賃金は良かったそうです。とはいえ、採掘の仕事をする人たちは押しなべて短命な事が多かったようでした。






白っぽい岩が見えます。ライトのせいか苔が生えているようです。





てへんを被った間切改めは動く




労働者の装束は細く裂いた木綿布を横糸に織り込んだ「裂織」と言う着物を着ていたそうで、日本版ジーンズみたいな感じでしょうか。裂織は佐渡の伝統工芸として現代にも受け継がれています。



やわらぎは硬い岩盤が少しでも和らぐように祈る神事


顔を紙の仮面(花切面)で隠すのは、神様に人間の顔を直接見せては失礼にあたると考えられているからのようです。


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