

今回は大立地区と高任地区のご紹介です。鉱山から採掘したものを小さくして運び出し、下流の選鉱場へ運びます。

第5駐車場に車を停めてブラブラ歩きましょう。






大立公園への橋は通れなくなっているようでした。




山師がこの先に金脈があると信じて1634年から14年間かけて400m掘り進め、1647年ついに掘り当てたという大切山坑。



1601年に発見後、手掘りで採掘が進み、100年足らずで山が割れたと言われています。







佐渡市のホームページに本来の大立堅坑櫓の様子がありますので、良ければご覧ください。

訪れたのはユネスコ登録前でしたが、2025年11月に再訪した時もまだ工事中でした。







今回は中には触れません。施設周辺の案内をします。





鉱山は水が出るので、それを運び出す人がいました。



お土産屋さんから伸びている渡り廊下

ここからの立ち入りは禁止になっているようです。




無名異:酸化鉄の赤い石。元々は漢方薬(止血剤)の名前。(案内板より)その後、顔料としても利用されるようになり、佐渡特産の無名異焼が作られるようになったそうです。

2024年5月2日に訪れたのですが、坑にヘルメットをかぶって入って行く観光客ではない集団を見ました。何らかの調査が行われていたのかもしれません。それで一般人が入れないようになっていたのかもしれません。






ここは旧佐渡鉱山採鉱施設 高任貯鉱舎及びベルトコンベアヤードとして文化遺産に登録されています。1938年から平成元年(1989年)まで使用されていたそうです。
旧佐渡鉱山採鉱施設 高任貯鉱舎及びベルトコンベアヤード 文化遺産オンライン












草や木の手入れをしている機械の音がずっとしていました。

下流の相川地区に運び出すための物でしょうか。

無宿人の墓入り口。この日は奥までは行きませんでした。

無宿人は何らかの事情でホームレスになった人の事で、江戸幕府は無宿人を島送りとし、鉱山で水替人夫として労働をさせました。お給料は出ていましたが、過酷な労働だったようです。これに対し、罪人は島流しと呼んでいたようです。

ここで折り返して佐渡金山方面へ移動します。






参考:佐渡金銀山保存管理計画書(PDF)


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