五十里ダムは昭和31年完成の重力式コンクリートダムです。建設当時は重力式コンクリートダムとしては日本一の高さ(112.0m)を誇っていました。
今、五十里ダムでは選択取水設備の新築と、設置後50年が経過して老朽化した利水放流設備の整備を行っているため、水抜きして工事が進められています。このため、天端へのアクセスはできなくなっています。五十里ダム堰堤改良事業
構台を建てるために切削したダムの一部が展示されていました。
管理支所への途中で法面の工事をしていて、駐車場に停めるまで、少し狭い区間があります。
滅多に見れない水抜き工事中のダムを一目見ようと、この日は沢山のダム見学の人が訪れていました。御年配の方が多くて驚きました。管理支所でダムカードを貰うと、スタンプラリーをやっていて、4ダム制覇するとカードホルダーが貰える(pdf)との耳寄り情報を得て、栃木4ダム巡りが始まる予感です。
随分水位が下がっています。右側には艇庫のシャッターが見えます。
江戸から五十里のところにあるので五十里湖というそうです。
これは何かなと思っていたのですが、五十里ダム管理支所のTwitterで導水トンネルだと知りました。 2017年12月6日追記
個人的に、木彫りの作品が気に入りました。
わくわく資料室で放映しているビデオプログラムで、鬼怒川上流ダム群連携施設という内容のものがあり、五十里ダムの貯水容量は少なく、隣の川治ダムは貯水能力に余力があるので、五十里ダムで余った水を川治ダムへ送って貯める連携が行われているという解説ビデオが印象的でした。
管理支所の窓から眺めた天端の様子です。全体整備は30年度中に終える予定のようですが、雪や天候によって、多少伸びるかもしれないとのお話で、今度、私たちが天端に入れるのは31年ごろになるかもしれませんと管理支所の職員の方のお話でした。
紅葉を楽しみながらの、ちょっと変わったダムサイト見学も楽しいですよ。
ここでは紹介できませんでしたが、かつて、徳川将軍綱吉の時代に大地震で男鹿川をせき止め出現した五十里湖がありました。天然堰の決壊を恐れ、会津藩が水抜きを試みるも、技術的に遅々として進まず、資金が底をつき、ついに水抜き工事は中止になったそうです。その責任をとって、会津藩の藩士が2名割腹したそうです。
そして、五十里湖出現から40年後、4日に渡る暴風雨に見舞われ、湖はとうとう決壊してしまいます。五十里洪水と言われ、甚大な被害を出しました。
五十里の歴史を調べると、とても興味深かったです。
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