国道220号の錦江湾沿いにある道の駅たるみずは、桜島と接しています。訪れたのは2023年11月16日です。
国土地理院「九州の道の駅 道の駅 たるみず」
敷地は海沿いで横に長いです。
温泉施設があり、無料の足湯もあります。
足湯は12:00~日没まで
垂水市(たるみずし)は鹿児島県の大隅半島(おおすみはんとう)に属しており、桜島が隣接しています。
道の駅たるみずの右側にはインフォメーションと、トイレなどがあります。
郵便ポストとたばこの自販機等
鹿児島県は養殖も盛んで、垂水市はかんぱちが有名だそうです。旅の間食したいと思いながらも、口にすることはできませんでしたが、養殖が盛んになると資源も守られるし良いと思います。しかし、養殖は養殖で困難もあるようで、今年6月にサメにいけすの網を食い破られ、1000万円相当の被害が出たというニュースがありました。
国産軍艦第一号(昇平丸)(Wikipedia)
ペリーの浦賀来航をきっかけに,それまで禁止されていた大型船の建造が許可されました。薩摩藩主島津斉彬は,1854年(安政元年)に,琉球警備のために桜島瀬戸村造船所で日本初の洋式軍艦「昇平丸」を建造しました。
長さ27メートル,幅約7メートル,3本のマスト船で,大砲10門を備えていました。通常は運送船として,戦争時には軍艦として利用できるもので,翌年には幕府に献上されました。
鹿児島県 国産軍艦第一号(昇平丸)
江戸幕府創設のおり、幕府は大船建造の禁を制定しました。手向かい防止の対策と思われますが、ペリー来航によってそんな暢気なこともやっておれなくなり、嘉永6年(1853)に禁令は廃止されました。
島津斉彬(しまづなりあきら)公は日本の船と外国の船を区別するため白地に赤い「日の丸」を掲げるよう幕府に提案し、安政元年(1854)7月11日幕府は「日の丸」を日本の総船印と決定しました。幕府に献上するために鹿児島を出港した昇平丸には「日の丸」が掲げられました。その後、万延元年(1860)には国旗へ昇格したのでした。
第二次世界大戦末期(昭和20年)に本土決戦に備えて秘匿櫻島(牛根)基地が前進攻撃基地として設置され、爆撃機や偵察機等を配し本土決戦に備えていましたが、8月には終戦となったのでした。
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