田瀬ダムは内務省が初めて着手したダムで、現在の国土交通省直轄ダム第一号です。 着工は昭和16年(1941年)。戦時中の日本に於いて、電力の安定供給の目的がくわえられ、洪水調節と水力発電の用途で建設が始まりましたが、昭和19年(1944年)8月、日本の敗色が濃厚になると、本体コンクリート打設が始まってはいましたが事業は中断しそのまま終戦を迎えます。
田瀬堰堤
終戦後はダム建設に当たり、当初軍部が立ち退きを命じた村人たちがGHQの治安維持の方針により、呼び戻され、食糧難に対応するため耕作をすることになったのですが、昭和22年(1947年)のカスリーン台風、翌年のアイオン台風と立て続けに大型台風に見舞われ、洪水による甚大な被害が発生しました。水害は経済復興の阻害要因になると危惧した政府は調査をし、農地灌漑も付加して昭和25年(1950年)10月に工事が再開されたのです。
東北地方建設局
昭和23年(1948年)7月10日、建設省の設置に伴い「建設省東北地方建設局」に改称。
天端は県道178号でもあります
田瀬ダムは天端が県道になっていて、車もぼちぼち通りますので、なるべくお邪魔にならないようにダム部活動をしますよ。
非常用洪水吐き(クレストゲート)6門、常用洪水吐き4門
上流側
上流側拡大
天端の様子
奥にあるのは扉を上げ下げする装置
右側に扉があります
扉アップ
常用洪水吐のメンテナンスをする時は、一門ずつ、扉の外側にこの扉を設置して行うそうです。田瀬ダムのスライドゲートの常用洪水吐はONかOFFしかないので、放流量の調節が難しかったそうです。
レールの上を移動するのです
新しい常用洪水吐
なので、平成10年(1998年)右岸側に新たに常用洪水吐を設けたのでした。これにより放流量の調整もきめ細やかにできるようになりました。
下流を眺める
天端から目視できる距離に遺構があります
下流の先を見てください。
橋の遺構
管理所の職員の方にお話を伺ったところ、ダムを作る時に使った橋の遺構だそうです。
5本ぐらい確認できました
ダム建設の名残
常用洪水吐そばの3つのトンネルのように見えるものも遺構との事でした。
堤高81.5 m
田瀬ダムには管理用のエレベーターが無く、堤体内の移動は二人乗りの懸垂式モノレールで行うようです。
ダム湖は田瀬湖
立派な碑
田瀬湖は日本のダム100選にも選ばれています。
水面に点在する円形の波紋
ばっ気中(奥の円形の辺り)
2005年に発生したアオコへの対策のため設置された湖の水を空気で拡販する装置とのことです。
ウォータースポーツもできます
網場の向こうで水上バイクのようなものに乗った人が楽しげな声を上げて遊んでいました。
下流側設備
天端からはフェンスがあり、直下から下流を撮影することができませんでした。
ここも個室のようなドアが
片方のレールはこっち側にありました
クレストゲートの装置
1号は点灯があり、2号は点灯が無いようですが、意味はまるきり分かりません。
右岸まじかの天端から
右岸側
9月~11月末まで入山禁止
右側へ向かう道路は9月~11月末まで入山禁止の森林があります。
右岸から振り返ったところ
奥には管理所と田瀬ダムものしり館が見えます。
管理所のそばにインクライン
揚水設備
肩乗りトンボ
フレンドリーなトンボが多い岩手のダムサイト
田瀬ダムものしり館
ものしり館へ行って見ましょう!
田瀬湖の生き物たち
魚のはく製やトンボの標本などですね。
田瀬湖の生き物たちその2
ペーパークラフト
ダムの冊子や堤体のペーパークラフトなど、ちびっこ向けのサービスがほほえましいです。
上流側から見た堤体
ダム建設途中のスケッチ
激流という映画のロケが行われた場所のようです
三船敏郎さんが出ていたようです
建築途中の田瀬ダムがロケ地になったので、当時のダム建設現場の躍動感も楽しめるダム好きにはたまらない作品のようです。
映画「激流」について
ものしり館を後にして、田瀬ダム周辺を見てみましょう。
下流側
上流側と違って、正面から撮れる位置を探しきれませんでした。コールドスリープカプセル状態ですね。
取水塔道路側から
床が木でできています
田瀬ダム取入施設案内板
ちょっとわかりにくいですね
猿ヶ石北部農業用水
案内板拡大
お部屋拝見
太陽光パネル
製品はエネテラスでした。
維持管理費の節約のためのようです
ホップみたいな実がありました
古いダムではありますが、随時改良を加えて大切に使っているのがとてもよくわかるダムでした。
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