【熊本】JAやつしろ坂本支所

懐かしい
JAやつしろ坂本支所
JAやつしろ坂本支所(GoogleMaps

熊本県道60号 芦北坂本線沿いにある、JAやつしろよりそいプラザの横にある坂本支所。

昭和8年建設

ぐるりと一周してみましょう。

当時は百済来(くだらぎ)町役場として活用されたそうです。
その後昭和38年(1963)農協へ無償提供され今に至る
八代たてもの 案内板

熊本高等専門学校が八代市の依頼を受けて「まちあるき八代たてものマップ」を作成したようで、他の建物の情報も興味あったのですが、公開されてはいないようでした。”八代市内550件以上の建造物を悉皆(しっかい)調査した”(「まちあるき八代たてものマップ」が完成しました。 より)力作のようです。(【悉皆(しっかい)】残らず。すべて。「―調査」「力を―出し尽くした」。まるで。)悉皆という言葉を知らなかったので、勉強になりました。

懐かしさを感じる入り口のポーチ
坂本村役場百済来出張所
”令和4年3月14日(月)より南部総合支所へ移転することになりました。”との貼紙がありました。
コーナーから
虹色のガラスが良い雰囲気です
換気孔がかわいい
小さな小屋がいくつかあります
穀物でも保管しておく建物かな?
一周してきました
旧百済来村(くだらぎむら)は熊本県葦北郡にあった村。1961年4月1日廃止。

旧百済来村(八代市坂本町百済来上)には日羅の墓があるそうです。日羅は古墳時代(6世紀)肥後国の葦北の国造り阿利斯登(ありしと)という豪族の子で、百済の王に仕えた倭系(日本の)百済官僚でした。

583年には、敏達天皇(※日本の第30代天皇)の要請により来日し、阿斗桑市(あとくわのいち)の地に館を与えられた。朝鮮半島に対する政策について朝廷に奏上した。その内容が人民を安んじ富ましめ国力を充実したうえで船を連ねて威を示せば百済は帰服するであろうことや、百済が九州に領土拡大を謀っているので防御を固め欺かれぬようにすべきこと等の百済に不利な内容であったため、同年12月に百済国役人の徳爾と余奴らによって難波で暗殺された。

Wikipedia より ※は追記

日羅の奏上を百済国役人は「裏切り」と受け取ったようです。

参考:

住所:〒869-5223 熊本県八代市坂本町田上1380

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