猪苗代湖への道の途中、国道46号(越後街道)の金の橋を通った折に、奥に堰のようなものが見えました。確認しようと金の橋を渡り、戸ノ口方面へ曲がります。
丁度車を停めた少し余裕のある道の傍、戸ノ口方面へ折れて100m付近の川に何かの遺構がありました。
昔は舟運の要所であったとの事です。何らかの堰の遺構でしょうか…何の案内も見つけることができませんでしたが、どうやらここで釣をする人はいるようです。
- 猪苗代湖にはたくさんの流れ込む川がありますが、流れ出る川はこの日橋川(にっぱしがわ)一か所でした。
- 猪苗代湖の水は、江戸時代からは戸ノ口堰などの用水として会津盆地で、明治になると安積疎水の用水として安積盆地(現在の郡山市方面)で利用され、その後水力発電所も設けられました。十六橋水門は、猪苗代湖の湖水量を安定させるために整備され、現在に至っています。
磐梯山ジオパークの案内看板「十六橋(水門)と日橋川」より引用
明治政府に雇われ、安積疎水事業の指導をしたオランダ人技師ファン・ドールンへの敬意を込めて東京電力が昭和6年に建立したものだそうです。安積疎水事業により、当時荒地だった郡山を豊かな穀倉地帯にすることができました。
2009年(平成21年)に近代化産業遺産として登録されています。
この日は雨だったせいもあるかもしれませんが、人の気配もなく、こんなところに日本遺産があるとはまるで気付きませんでした。tanuが探索したところ、四阿の裏手の山には祠があったそうです。
戊辰戦争の場として
- 猪苗代から若松への街道筋にかけられた十六橋は、1786(天明6)年から猪苗代湖西岸の材木岩(柱状節理)でつくりかえられました。1868(慶応4)年の戊辰戦争の際、新政府軍を足留めするため、壊そうとしましたが間に合わず、白虎隊の悲劇につながっていきます。
磐梯山ジオパークの案内看板「十六橋(水門)と日橋川」より引用
柱状節理で作られた橋はさぞかし堅牢であったのでしょう。新政府軍(西軍)は、壊された部分に板を渡し、圧倒的な兵力と優れた武器でもって、なんなく占拠したそうです。
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