






2トンバッテリートロッコと呼ばれ、鉱石を運ぶ鉱車、人を運ぶ人車、その他台車の牽引などに利用されました。
日本輸送機(株)製造のもの。
24個の蓄電池が搭載され、作業終了時に機械工場で充電されました。

穿孔機が立てて並べられています。





手前にあるのは金床(anvil)



風車は閉山前まで使われていて、現在も使用可能とのことです。奥にあるのはバッテリー液で、バッテリーに補充して40年も使っていたそうです。





グラインダーは鉄製品を研磨します。写真は日立製作所のグラインダーです。左右に研磨気候があり、左側の青い砥石は「青砥(あおと)」と呼び、削岩機のたがねに埋め込まれているダイヤモンドチップを研磨する専用で、上から水が供給される仕組みです。


財閥解体と太平工業株式会社
佐渡鉱山は明治29(1896)年、宮内省より三菱合資会社に払い下げられました。同社は大正7(1918)年、石炭と金属部門を分離し、三菱鉱業(株)を設立します。しかし、敗戦により昭和25(1950)年、財閥解体が行われ、石炭鉱山分野の三菱鉱業(株)を非鉄金属分野の太平鉱業(株)に分割されました。三菱鉱業は、その後三菱鉱業セメント(株)と名称を変え、石炭よりセメントへ事業を転換、一方の太平鉱業(株)は、三菱金属鉱業(株)、三菱金属(株)と社名を変更します。平成2(1990)年、2社は再度合弁し、三菱マテリアル(株)ゴールデン佐渡は、三菱マテリアル(株)の100%子会社です。説明書きより

削岩機のたがねの摩耗を重油バーナーで熱して加工再生しやすくします。

重油バーナーで熱されたたがねのセンターをエアハンマーで叩いてつぶし平らにします。


削岩機の先端のダイヤモンドチップを埋め込むための機械。

蓄電池機関車を車体の下から修理するための場所。機関車のチェーンが外れたり、ブレーキの効きを調整したりするときに、車体の下に潜り込んで修理します。







エアーポンプ
坑道から出た水は立坑に集められ「南沢疎水坑道」を通して排水されますが、局所的に水たまりが出来た時エアーポンプを使います。
坑内には圧縮空気を奥kるためのパイプが敷設されています。

左右の爪でレールを固定し、真ん中のネジで押し曲げ、レールを湾曲させる。

ストーパー(上向穿孔機)
採掘切羽(採掘現場)で天板(天井)に発破孔を掘る場合、このストーパーが使われます。ストーパーの動力は坑内にパイプやホースなどで送られてくる圧縮空気です。
レッドグリルのたがね(左)とストーパーのたがね(右)
鉱山では、たがねで穿孔した後に爆薬を積めて発破し、発破によって崩れた鉱石や岩石(ズリ)を運び出します。
ストーパーは上向きに孔を開けるために使います。坑道の天井は2.3mなので、天井につかえないように最初は短めのたがね(1番たがね)を使い、その後は2番たがね、3番たがねを主流に使います。
佐渡金山では1.3mのレッドグリル(水平穿孔機)が使われましたが、岩盤が柔らかい場所には1.8mの長さの物も利用されました。




機会を組み立てる時に必要なボルトの穴を開ける時などに使った電気ドリルで、最大30mmの穴をあけることができました。





ミーリング
たがねの先端をエアーハンマーで平らにした後、たがねの先端にダイヤモンドチップを埋め込むための溝を切ります。その時に使う機械です。
たがねはプラスドライバーのような十文字とマイナスドライバーのような一文字のものがあり、佐渡金山では研磨が容易な一文字のたがねを作っていたそうです。


なんだか複雑だけど機械の木のような佇まいですね。坑道の開削作業には水を噴射する「湿式削岩機」と水を使わない「乾式削岩機」があり、昭和30年代から湿式が普及し、この機械はたがねの先端から水を噴射するための水穴を開ける機械とのこと。









日本で最初に天秤を作った守谷定吉作の金秤量用天秤。この天秤は100分の1グラムまで秤量できる。


おそらく鉱山病院で使われていたものとのこと。



三菱のマークが見えますね。三菱合資会社時代に金を貯蔵するために使われていたそうです。

佐渡金山が宮内省の所轄の時は菊の御紋、その後三菱合資会社に払い下げられ三菱の御紋となりました。撤去された製鉱場から社宅等に再利用された瓦は、現在でも京町通り周辺の住宅で見ることができるうです。



次回で佐渡金山のご紹介は終わりになります。見所の多い佐渡金山、もう少しお付き合いください。


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